“ある”も“ない”も在る世界へ
雪が降り、寒い日が続きます。
いつもは騒ついている街も、雪が降っている時は不思議としん・・とした静けさを感じます。通りを歩く人は転ばないようにと、静かにそうっと雪が積もった道を歩き、道端にできた小さな雪だるま・・その側でまた別の雪だるまを作っている大人たち・・その光景を見て、ひとり嬉しさと平和な穏やかさを感じている私です。
私が大好きなインドの教育者クリシュナムルティの本の中の一節を紹介します。
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陽のなかで揺れている木の葉を見つめている生徒は、注意深い状態です。
その時彼を本に引き戻すと、彼の注意を阻害してしまいます。
それに対して、生徒がその木の葉を十分に見つめるように助けることは、彼に注意の奥深さを気づかせることになります。
そこでは気が散るということがありません。
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この一節を読んで、私が小学4年生だった時のことを思い出しました。
ちょうど今くらいの季節でした。その日は午後から東京でも牡丹雪が空から落ち始めていました。降ってきた時は、窓に子どもたちが駆け寄り、授業は一時中断。すぐに先生が席に戻るように促し、授業は再開されました。
先生が話し始めても、子どもたちは気もそぞろ。私は、その様子をなんとなくぼーっと眺めていました。話をきちんと聞いていた訳ではなく、その先生が子どもたちの注目を集めようとしている姿を見ていただけでした。
すると、先生が
「ほら、野村は一番よく話を聞いている。みんなも見習いなさい」
と言ったのです。
私はびっくりしながらも、先生に褒められてちょっと嬉しくもありました。
しばらく経って、窓の外の雪が気になり始め、何気なく外を見ました。
空から雪の結晶がくっついて大きな牡丹雪が、ふわふわと音もなく落ちてきます。地面に積もると白なのに、空から降ってくる時はグレーに見えて、私はその光景に見とれ、目が離せなくなりました。
すると、次の瞬間・・ゴンっ!頭のてっぺんをげんこつされ、目から火花が散るほどでした。頭をさすりながら見上げると先生が、仁王立ちで私の前に立ち、
「さっきせっかく褒められたのに何をやっているんだ!」
と叱られ、私は固まってしまいました。
今でこそ、体罰だ!などと騒ぎになりそうですが・・その時は、褒められて持ち上げられたところから、叱られて落とされた恥ずかしさの方が、痛みよりも強く感じていました。
この思い出で今でも鮮明に私の中に残っているのは、雪が降っている光景です。
空から落ちる途中に、雪の結晶がくっついて、だんだんかたまりが大きくなり、地面に落ちた雪がどんどん積もっていく様子
雪が音もなくふわふわと空を漂っている様子
空の高いところから降ってくるその雪の色がグレーに見えたこと
空がどこまであって、雪がどこから落ちてくるんだろうと思いながら眺めていた私。
今考えると、あれ程までに雪を観察し、体験したことはないかもしれません。
冒頭に書いたクリシュナムルティの言葉にあるように、注意深い状態で、
言い換えると“今、ここ”に集中していることだったのだと思います。
私たち大人は、前述した先生同様、話を聞かせようと「気が散らないように」します。そして、「気が散ること」は“いけないこと”としています。
でも、実は「気が散る」のではなくて、何か別のことに注意を向けている、夢中になっている状態なのです。
自然の中で過ごしている時、子どもたちは“今、ここ”に集中している状態が多くあります。
アリの行列を眺めたり、毛虫がもそもそと歩いていくのを見たり、蜘蛛が虫を捕まえて、糸でグルグル巻きにする光景を見ていたり・・
子ども達の目線の先にあるものを私も一緒に見ていて、面白い発見があることがたくさんあります。
「気が散る」という言葉は、「今、何かしなければならない」と思っている時に使われます。
でも、「気が散っている」のではなく、「他のものへ心を惹かれている」のだとすると・・
そこには子ども達の自由な発見や学びがあると言えるのではないでしょうか。
その自由な発見や学びを阻害しないように、大人が視点を少し変えることが大切です。
「気が散る」というように見えている時の大人は、
子どもが「しなければならないのに、していないこと」に注目したあり方です。
子どもが「気が散っている」のではなく「何かに集中している」と捉えると、「気が散る」という状態は“ない”のかもしれません!
そしてその時の大人の意識は、その子に対する“肯定的なあり方”となっています。
“どんな発見をしているのか?”
“何を見つけたのか?”
“どんな考えを持っているのか?”
“何に興味を持っているのか?”
子どもを肯定的な“ある”と意識することが、“あるがまま”を観ている状態です。
“あるがまま”を観ている大人がそばにいる子どもは、自分を承認されているという満足感が得られると思います。
どうしても人や自分の“ない” “足りない”ところにばかり目が向きがちな私たちですが、“ある”に目を向けた時、“ない”も“ある”も「在る」ということに気づくのではないでしょうか。
世界には“ない”も“ある”も在ります。
この相対的な世界を超え、絶対的な「在る」を体験した時、人の器はまた一つ大きくなると信じています。
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