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自由であるという責任

近所の公園を通り抜けようと一歩足を踏み込んだ瞬間、目の前がパッと明るくなった気がしました。私の目に飛び込んで来たのは、赤や黄色に紅葉した木々で公園の空が埋め尽くされてる景色でした。もみじの葉はオレンジから赤へ、けやきの葉は緑色から黄色へと移り変わっているグラデーションは完璧な美しさ。

一本一本の樹が織りなすパッチワークのような公園全体の景色に圧倒され心を奪われ、ほぉ‥とため息が出た私でした。

 

 

先日、仕事で北京の幼稚園へ行き、自然の中での保育を中国の先生方に伝え、中国の子どもたちへも自然保育の体験を実施して来ました。

中国の幼児教育は、日本の一昔前の教育のように、学力や能力を相対的に評価すること(競争原理)がベースにあります。いい学校に入り、いい会社に入ることが目的という考えが大半を占めています。

その中でも最近は、徐々に新しい視点や考えを取り込み始めている人たちが出て来ています。

今回の北京訪問で、「良いと思ったものはすぐに試し、取り入れていこう」という動きの早さを感じました。「新しい教育を提供する」という若いリーダーが中心となって、チームとして仕事をするという体験をして来ました。

 

その中での出来事です。

ある幼稚園へ行き、子どもたちに自然保育を体験させるプログラムを行いました。子ども自身が感じながら、考え、自然の中で自由な活動をするということは、幼稚園の先生たちにも子どもたちにも初めてのことです。

活動のスタート時、スタッフの一人が子どもたちに「何をしても、何をしなくてOKだよ」という話をしました。

その直後、二人の子どもが楽しそうに集合している場所から反対側へ、一直線に走り出しました。

「お〜い、ちょっと待って〜。」という声も聞こえないまま、二人は楽しそうに走り出しました。

「何をしてもOK」という話をしたばかりだったので、『慌てて止める必要ないかな』とゆったりとした気持ちで後を追っていたら、目が届かない所へ行ってしまいそうになりました。

そこで私は『これはまずい!』とスイッチが切り替わり、日本語は通じないのでひたすら「ストーップ!」と叫びながら、久しぶりの猛ダッシュ!

やっとの思いで追いつき、先頭を走っていた一人を捕まえると・・その子はとってもいい笑顔!

その瞬間「あぁ、楽しかったね〜」と私の緊張も一気に緩みました。

もう一人の子も何やら嬉しそうに話しかけてきました。

その後、言葉はわからないながらも、その子たちとは特に心が通じ、一緒に長い木の棒を探したり、きれいな落ち葉を拾ったりして過ごしました。

 

私は「危ない」と思って追いかけ、子どもたちは「楽しい」と思って走っていた‥けれど、結果はお互いに心が近づいた体験でした。

その出来事があったので、私と子どもたちの心の距離が近づき、子どもたちの動きを把握しやすくなりました。その後私が危ないと感じた場面はありませんでした。

 

子どもたちとの活動後、先生たちと活動の振り返りをしました。先生たちに「活動中危ないと思った人は手を挙げてください」と聞くと、半数が手を挙げました。

何が危ないか・・というと

・二人だけ集団から外れて遊んでいたこと。

・長い木の棒を持っていたこと。

・大きな石を持っている子がいたこと。

・活動場所の木の枝が目に刺さりそうだったこと。

などなど・・こういった先生方の反応は、日本でも同じです。

幼稚園・保育園の保育者は、第一に子どもの安全を守ることを考え、危険を排除する思考になっているからです。これは、日本の幼稚園・保育園でも同じです。

 

今回の研修のオチは・・この危ないと言っていた先生たちが、次の日の自然体験の研修の中で、ジャンプして棒を使って松ぼっくりを取ろうとしたり、木の高いところまで登ったり・・と、こちらがヒヤヒヤするほどの危ないことをしていました。「危ないことは楽しい」ということを、身をもって体験したようでした。

 

 

「自由」を初めて体験する子どもたちにとって、「自由」という開放感の表現方法は、むちゃくちゃ・がむしゃらに走ったり、飛び跳ねたり、転げたり・・をすることのようです。

守られて、安全の檻の中では、「自由」は感じられません。

安全という檻から出た瞬間に、むちゃくちゃ・がむしゃらに遊び出す子どもたちは「危険」と隣り合わせ。

 

「自由」には「責任」が付いて来ます。

その「責任」とは、「自由である」という責任なのです。

自由であるからこそ、そこに付いている責任を認識する必要があります。

・自分を危険から守るという責任

・自分で楽しむという責任

・自分が何をするかという選択をする責任

・自分がした選択に対する責任

 

これからの教育では、この「自由である責任」を子どもたちに体験させることが大切なのではないでしょうか。

「交通安全指導」と称して、「右見て、左見て、また右見て」という道の渡り方を練習しても、身についていなければ、何の役にも立ちません。

安全について知っているだけではなく、安全に対する心が育まれていることこそが大切です。

それが“責任をとっている”あり方となるのです。

 

「あなたの自由にしていいよ」

こう言われた時のわくわくを率直に受け取り、表現する子どもたち。

その子どもたちを止めているのは、大人の不安や心配です。

怪我をするかもしれない。

迷子になるかもしれない。

迷惑をかけるかもしれない。

こうした不安・心配は大人の方にあり、子どもの中にはありません。

大人の不安・心配をそのまま子どもに伝え(脅すことなく)、そのことを一緒に話をしていくことが大切です。

 

では、みなさんはどうでしょうか?

「あなたの自由にしていいよ」

と言われた瞬間、どんな感情や思考が出てくるでしょうか?

ドキドキと共に怖さが出てくる人

ぎゅっと自分が小さくなるような感覚と共に恐れが出てくる人

わくわくした開放感を感じる人

途方にくれる人・・と、反応は様々でしょう。

私たちは本当には「自由」を体験したことがないかもしれません。

 

「責任」は自分自身へのプレゼントです。

そのプレゼントを喜んで持った時に、初めて「自由」を体験できるとも言えます。

こうした「自由」「責任」をきちんと体験している人こそ大人であり、子どもたちが体験的にこの“大人さ”を手に入れていくプロセスを歩める教育こそが、今の時代には必要です。

そして教育が、成熟した世界を創っていく一端を担っているのです。

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