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2016年12月

“無執着である”≠“諦める”

※今回は、一つ前のブログ『執着から新しい可能性へ』からの繋がりで書いていますので、そちらを先に読んでみてください。

北風が冷たい夜、広い幹線道路の歩道の上を歩いていると、街路樹の幹の皮が剥がれているのが目につきました。

それをじっと見ていたら、その一箇所がきれいなハート型でした。

「わぁハートだ」と、寒さで縮こまっていた体がほぐれ、私のハートもふわっと暖かくなりました。

 

 

「まぁ、いいか」・・私の口癖です。

子どもたちが話を聞いていない時

洗濯物を地面に落としてしまった時

料理の味がイマイチ決まらない時

そんな時に気づくと「まぁ、いいか」と呟いています。

その時の自分はどういう状態かというと、力が入ってなくて、起きていることに対して“良い”とか“悪い”とかの考えはなく、感情にも怒りやイライラはなく逆に笑い飛ばすくらいの軽さがあります。

そして「まぁ、いいか」でその時自分が望んでいた結果=執着を一度手放す儀式をしているような感覚です。

「まぁ、いいか」と言うことで、「さぁこの後どうしよう」「じゃあ、これはこうしよう」と、次への対処や違う結果に切り替えています。

※“執着”について、一つ前のブログ『執着から新しい可能性へ』で書いていますので、そちらを先に読んでみてください。

 

「まぁ、いいか」で済ませない時ももちろんあります。

自分と関係が近い家族や兄弟・親の問題

自分の思い入れが強く、大切にしていること・もの

これらが関係すること・ものになると、途端に“これでは良くない”と力が入り、感情も過度に悲しんだり、怒ったりし、戦いモードになりがちです。

 

「まぁ、いいか」で済ませられない体験がありました。

先日、夫が部下を怒鳴りつけているシーンに居合わせてしまいました。その時私は「何やってるの?大きい声出しても仕方ないじゃない」と言いながら、その瞬間“こんな対応をするこの人はダメだ”“これは直さなければならぬ”と力が入りました。

そこからは夫との関係が戦いモードに入り、とても「まぁ、いいか」とは言えない状態になりました。相手をなんとかしようとして、“そのままを受け入れる”とは、とてもできない状態でした。

自分との関係が近ければ近いほど、“平常心”を保つことが難しい・・という体験でした。

 

もう一つ、あるお母さんの子育てブログを読んだ時、その中で“それは違うでしょ!”と、自分の中でスイッチが入る箇所がありました。「それは良くない!ダメだ。」と、何かを“悪い”と判断しているスイッチです。私は教育・保育に関しては、想いが強いので「まぁ、いいか」にはなれません。

そのブログの内容は、「自分の理想の子育てを頑張っていたが、頑張るのをやめたら子どもとのぶつかり合いがなくなった・・」と前半は書いてあり、それに関しては“良し”と判断しながら読んでいた私。

でも後半に・・「だから子どもの好きにさせるようにした。子どもは一日中テレビの前に座り、スマホを手放さない日々。でも私はそんな子どもたちを暖かく見守っていこうと思う。」ということが書いてあり、それを読んだ途端「そんなのはダメだ!」と反応した私でした。

そして今でも、その後半部分に関して“良いこと”とは思っていません。

私は「教育・保育の質を上げる」ことに揺らがない自分だと思っていますから、「まぁ、いいか」とはなりません。「まぁ、いいか」としてしまうと、この場合は“諦め”からの言葉です。このお母さんのブログから私に伝わって来たことは、執着していた自分の育児の方法を“手放す”ことができたつもりで、“諦め”になってしまっていることでした。

 

 

自分の子どものこと・家族のことになると“平常心”ではいられなくなりがちです。

だからと言って、“執着することをやめた”“コンロトールしようとする自分をやめた”と同時に、『子どもの育ちへの想い』を放棄してしまうのは“諦め”です。

 

「まぁ、いいか」ということは、それまで握りしめていた自分の執着に“無執着である”という状態なのです。

その握りしめていた執着とは何か?

それは、自分が望む“結果”と“期待”です。

その“無執着”の状態は、大きな方向性としての創り出したい結果・ビジョンまで何もかも手放してしまう訳ではありません。何もかも手放してしまう状態では“諦め”になってしまいます。

方向性やビジョンへ“意図”を持ち続けることが大切です。“意図”を持ち続けることで、自分の方向性やビジョンに向かって行くのです。

その方向性やビジョンを持ち続けることによって、何かを創り出します。諦めてしまえば、何一つ創り出すことはできないでしょう。

 

“無執着”と“諦め”の違いは、“あり方”に現れます。

自分が「どのような“あり方”“存在”であるか?」によって、目の前の出来事が全く違って見えます。

“諦め”のあり方で子どもと関われば、子ども達が何をしようと見て見ぬ振り・・。電車の中で騒いでいる子ども達の横でスマートフォンの画面から目を離さないお母さんをよく見かけます。

「どうせ言ったって聞かないから」「この子達はいつもこうだから仕方ない」と諦めが行動に出ています。

では、“無執着”のあり方で同じ例だとどうなるでしょうか。

“無執着である”とは「注意をしない」とか「子どもに何も言わない」ということではありません。子ども達のそのままの状態を見ていて、自分の子育ての方向性や想いからの行動が表現されることが大切です。

例えば、以前私が電車の中で見たお母さんのあり方が、手放している=無執着と感じた出来事がありました。子ども達が電車の中で騒ぎ出すとさりげなく、「あ!みてみて。あれってさぁ・・」と話しかけました。子どもは「え?なに?」とそのお母さんの言葉で我に返って、お母さんとの会話を楽しみ始めました。そのお母さんは静かなトーンで話していたので、子ども達もその静かなトーンで、穏やかに話し始めたのが印象的でした。“注意をする”という方法ではなく、子ども達の騒ぎを収めてしまいました。

そのお母さんが“子ども達をコントロールしなければ”という思いは手放して、ただ「静かにする」「周りに迷惑をかけない」という明確な方向性から表現された言葉で、穏やかな雰囲気を創り出したように見えました。

 

 

「どうせ」「仕方ないから」という“諦め”のあり方だと、目の前に現れてくる出来事が「無理」「難しい」と見えて来ます。

 

大切なのは、どっしりとした“自分(あり方)”を持つこと。

それでいて柳の木のように風とダンスができるような柔軟さが必要です。

「こうするべきだ」と力を入れて目の前の出来事に向かって行くと、ポキっと折れて“諦め”になってしまうかもしれません。

でも、時には「まぁ、いいか」と一旦“手放し”、そして“創り出したい大きな方向性・結果”への意図を持って、次の可能性を創作する。

こうして日々の人生を歩みながら、自分の器を大きくしていくのです。

 

私たちは知らず知らずに根っこが大地から抜けて、根なし草のように周りに流され、自分の望んでいる方向から外れていることがあります。

常に「私はどういう存在であるのか」=Be(あり方)の自分を確認しながら歩んでいくことが大切なのです。

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執着から新しい可能性の世界へ

散歩をしていると、立派な松ぼっくりがゴロゴロと落ちていました。思わず持ちきれない程拾い集めた私。これで何を作ろうかなとワクワクしながら歩いていると、今度は鈴なりに赤い実をつけた木を見つけました。クリスマスリースが松ぼっくりや赤い実、針葉樹の葉でできているのは、この季節ならではの贈り物なんだなぁと、サンタクロースが住むノルウェーの森へ思いを馳せている私でした。

 

 

以前私がスノーボードのインストラクターの資格を取ろうとしていた時のことです。インストラクターにもレベルがあり、上へと目指して練習をするのですが・・。私はどのテストも一回でパスしたことがありませんでした。

あるテストの時「いつも通り滑ったら余裕で受かるよ」と私を指導してくれていたインストラクターのお墨付きをもらったにも関わらず、当日の私の滑りはボロボロ。その滑りを見ていた私のインストラクターは、「力入りすぎだよ〜もったいない」とがっかり。案の定そのテストは不合格でした。本当に悔しくて「どうして本番に弱いんだろう・・」と泣きながら考えていたことを思い出しました。

 

また逆にこんなこともあります。

あるプロジェクトの参加に応募し、プレゼン審査を受ける時のことです。自分の考えや思いなどをアピールする審査で、プレゼンを上手くやろう・・と思えば思うほど、準備不足と見えて来たり、周りの応募者たちが、頭が良さそうに見えて自分は劣っていると感じたりしていました。そうこうしている間に自分の順番がきました。その瞬間、私は「このプロジェクトに受からなくては」という考えが頭によぎりましたが、「今、自分ができることをするだけだ」という考えに切り替えて、プレゼン審査に挑みました。

すると、審査員が優しく見え、質問の応答もスムーズに、自分の思いの丈をぶつけて終了。その結果、プロジェクトに加わることができました。

 

 スノーボードのテストの時の私を思い出してみると、受かりたいという結果に“執着”していました。

そして、プレゼン審査の時の私は、結果を“意図”しているけれど、“執着”はしていない状態で、ただ“今”を体験していました。

 

このように人から評価される時に生まれる“成功したい”“受かりたい”“上手くいかせたい”という“執着”

何か行動をしている時に生まれる“こうなるだろう”“こうであるべきだ”と思い込んでいる結果への“執着”

仕事(プロジェクトや企画・営業など)や家庭(七五三や誕生日などの家族行事やお祝い事など)で、他の人とも関わりながら計画を進めている時に出てくる結果への“執着”や周りの人をコントロールしたいという“執着”

 

また違うケースで・・

「子どもに食べさせようと思っていた冷蔵庫のプリンを旦那が食べちゃった!」と怒っている時

「3歳になったらオムツがとれるように、トイレトレーニングを頑張っているのに子どもがトイレを嫌がる」と悩んでいる時

「今日はおでんにしようと思ってたのに、お義母さんが天ぷらを持って来ちゃった・・」と嫌々天ぷらを受け取っている時

などなど、私たちは瞬間瞬間、自分の頭の中の考えに“執着”を持っています。

その時に大切なのは、まず自分自身の頭の中にある考えに気づくことです。

「あぁ、自分がしようと思っていた事に執着してるな・・」

その“執着”に気づくと、「では、どうするか」と“今”を創り出すことができます。

“執着”は過去に作った自分の考えを握りしめた状態で、その握りしめたものを“手放す”ことで、“今”ここで、次の未来を創り出すことができるのです。

 

「あぁ、自分の考えに執着してるなぁ」と気づいたら「その考えを手放す私です。」と新しい自分を創る。

「オムツをとることに執着してるなぁ・・」と気づいたら「そして、オムツがとれてもとれなくてもこの子を愛している私だもん!」と新しい自分を創る。

「自分の思った通りにしたいと執着してるなぁ・・」と気づいたら「思った通りになってもならなくても、今はこれが一番適切なのかもしれない」と新しい自分を創る。

 

このように、「あぁ、今執着している自分がいるな・・」と気づいたら、その“執着”の上を行く、ワクワクするような可能性に触れている自分を創ってしまうのです!

 

 

昨日読んだフランシスコ教皇(ローマ法王)の演説の記事に、「無関心という病」という言葉があってドキッとしました。

平和を願っているけれど、実際の行動としては“無関心”になってしまっている私たちなのかもしれない・・と思いました。

私たちが真の平和を手にいれようとしている今、一人一人が自分の“何か(執着している人・事・物)”を手放す小さな痛みを感じるかもしれません。

でもその手放す行動は、“無関心”が生む大きな痛みよりもずっと価値があります。

私たち一人一人が握りしめている“執着”を手放し、そして豊かで平和な社会・世界を創り出す私たちでありたいものです。

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聴く耳が相手を力づける

夕暮れ時、足元を見ながら歩いていると、面白い形の大きな木の実が落ちていました。どこから落ちたんだろうと上を見上げると、繊細な切り絵のような街路樹の影が、夕焼け空に浮かび上がって見えました。その樹の枝先にさっきの大きな木の実が丸い影になってぶらさがり、まるでクリスマスツリーの飾りのよう。切り絵のクリスマスカードが思い浮かび、カードの中に紛れ込んだような体験でした。

 

 

先日、あるお母さんから電話で相談を受けました。その時は時間がゆっくり取れず、少しだけ話を聞き、私の考えや伝えたいと思ったことを話して時間切れ。

切った後『あれ?相談内容はあれだけだったんだろうか?』という思いが私の中に残り、気になって仕方がありませんでした。その時の私にあったのは、相手の気持ちがきちんと受け取れたのだろうかという心配と、今どんな様子だろうかという考慮でした。そしていつまでも気になり、しばらくそのことを引きずっていました。

電話を切ったのに、まだ終わっていないような“不完了”の状態でした。

 

本当に相手の気持ちに寄り添えた時の私は、相手の“言葉と一緒にいる”状態で、手に取るように相手の気持ち、考え、体験が伝わって来ますが、その時の私は、時間があまりないことに捉われ、相手の話を聞きながら「きっとこういうことだろう」と、自分の頭の中で考えたことを話していたため、相手の状態をきちんと把握していないのに話を終わらせてしまった体験でした。

相手が本当に求めていた答えを導き出すことができたのかどうかが不明確、ということが考慮の元だったのです。

 

この出来事から、改めて「相手を聴く」「相手を受け取る」ということの大切さを感じました。

自分の頭の中のことを話していると、相手との繋がりを感じません。

持論を語って、まるで“自分が正しい”ということを押し付けているような状態の時もあります。

このような時は、自然と力が入り、自分の意見を押し付けようとしたり、わからせようとしているような感覚です。そしてそうすればするほど、相手が引いていったり、反論されたり・・“どちらが正しいか”というような話になったりと、“良いか悪いか”の話になりがちです。

 

 

私は、以前ショッピングモールのクレーム係をしていたことがあります。電話で対応したり、時には実際にクレームを言いに来るお客さんと対面したりしました。

その時にクレームのお客さんが“面倒な人だ”とか“怒っている人だ”と自分の思考のフィルターを通してみていると、クレームは長くなり、その対応に苦労します。

でも、“この人はどんなことを訴えたいのだろう?”と真意を汲むように、そして“お客さんの力になろう”というあり方で話を聞いていると、問題のポイントがはっきりし、その人の満足の行く対応に落ち着く・・という体験をしました。その時の相手は“クレーマー”とも“面倒な人”とも自分には現れていなかったのです。

 

 

このように、相手が自分にどう現れているのか?で全く違った状態になることがたくさんあります。

今、甘えて来た子どもに対して「この子は甘えん坊だ」と現れていると、「仕方がない」とか「いつものことだ」と、自動的に対応したり・・と、本当には子どものその時の訴えに答えていないかもしれません。

今、何かを要望してきている保護者に対して「この人はいつも何か言って来る人だ」と現れていると、その保護者の真意はわからず、表面的な対応のみになり、わだかまりが残ることもあります。

今、相談してきている友人に対して「この人はいつも同じことを悩んでる人」と現れていると、本当には友人を力づけることにはならないかもしれません。

 

 

まだ言葉で上手に表現できない小さな子どもの話をよーく聞いていると、なんとなくこんなことを訴えているんだな〜と伝わって来たという体験がありませんか?

この人は「こんな人だ」と思っていたけど、じっくり話してみたら実はそうでもなかった、という体験がありませんか?

そういう時の自分は、自分の頭の中の言葉に耳を貸しているのではなく、相手の言葉と共にいる・・という状態なのだと思います。

目の前にいる相手の“言葉と一緒にいる”と、その人の体験や感覚・考えが手に取るように伝わってきます。

表面的な言葉の元になっているその人の体験やイメージのエネルギーが伝わって来る・・そういう体験です。

 

私たちの住んでいるこの地球は、アインシュタインが証明したように相対的な惑星です。ですから言葉も相対的に“意味”と“音”に分かれます。

私たちは“意味”だけを解釈して聞いていることが多く、言葉の持つ“音のエネルギー”には注意を向けていないことが多いのかもしれません。

 

相手の言葉と共にいると、相手との間に新しい“可能性”が見えてきます。

そして、その“可能性”を相手と一緒に感じている時は、二人の間に喜びやエネルギーの共有が起きています。

本当に相手の言葉を聴いている時、頭の中で考えた言葉ではなく、二人の間に言葉が生まれます。言葉だけではなく、ビジョン・イメージが生まれる体験をします。

頭で考えたことを教えたり、諭したりすることではなく、ただ力づけるだけ・・。その時の自分には、喜びのパワーとしてエネルギーが返って来る体験があります。

 

私たち一人ひとり、思考のフィルターをかけることなく“そのままが聴ける耳”を手に入れると、世界は軽くシンプルになります。

相手と共にいるだけで、何か伝わって来る・・テレパシーのようなコミュニケーションが可能になるかもしれませんね!

 

様々な“言葉”が溢れている世の中だからこそ、その“言葉”の意味だけではなく、その言葉が持つ“音のエネルギー”が伝えるビジョン・イメージも聴ける耳を手に入れたいものです。


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