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“一緒にいる”ということ

私は雪山が大好きです。特にこの時期の雪山は幻想的。樹々の枝先一本一本が凍って雪が付くと、砂糖をまぶしたお菓子のようです。そこに陽が差すとキラキラと輝き、まるで天然のクリスマスツリー。シーンとした雪山の中で耳を澄ますと、時折聞こえるサラサラサラ・・と樹から落ちる雪の音が静かに聞こえて来ます。

「寒い所が嫌い」と言っている友人にこんな風に大好きな雪山について熱く語りながら、幻想的な雪山を再体験している私です。

 

 

以前、保育園で子どもと保育者のこんなやり取りをたまに見かけました。

1歳児のAくんがおもちゃで遊んでいる時のことでした。Aくんはそのおもちゃで何かやりたいことのイメージを持っていました。でも、思うように出来なくて近くにいた保育者を呼びに行きました。

保育者は抱っこをされたくて来たのだと思い込み、そのまま抱き寄せました。その子は抱かれたかった訳ではなく、そのおもちゃで一緒に遊んでもらいたかったので「いや〜!」と拒否して逃げて行きました。

 

また別の時には、どんぐりを帽子の中にたくさん集めて得意になっていたBくんが「ほら、みて〜!」と、少し離れたところにいた保育者に見せに行きました。すると保育者は、「あ、どんぐりあったんだね。どんぐりの殻むける?」…と、Bくんの集めたどんぐりを一つもらうと、どんぐりの殻を剥き始めました。Bくんは「ふ〜ん・・」と言って、その保育者から離れて行きました。

 

このように、子どもが大人に訴えたかったことと、大人の対応の不一致が生じることは多々あるのではないでしょうか。

どんなに小さな子どもでも、自分がしたいこと、自分の興味が向いている方向性があります。

その子どもに対して、子どもの意図とは反して、大人が自動的に抱き上げたり、何かをやってみせたり…ということがあります。

無意識に子どもを抱っこしたら、なぜか泣き出してしまった。

というようなことがあるのではないでしょうか。

もちろん、抱き上げる必要のある場面も、一緒に遊ぶ場面もあります。

でも、その対応の行き違いがあることもあります。

 

これが、子どものイヤイヤ期の時期だったらどうでしょうか。

子どもは自分のやりたかったことが思うようにできないイライラと、やりたいことが大人にうまく伝わらないもどかしさから、癇癪を起こしたり、急にぐずったりします。大人は「イヤイヤ期だから仕方ない」と、本当に子どもが伝えたかったことに目を配ったり耳を傾けたりすることに配慮しないのではないでしょうか。

 

なぜこのような対応の不一致が起きるのでしょうか。

 

それは、大人が子どもを“すでにいつもの子”として見ているからです。

“いつもこの子はこうだから…”

“5歳になったからこうだ…”

“毎年この時期はこうだから…”

などと、“過去”を通して目の前の子どもに関わっているのです。

 

その時の大人は、“子どもと一緒にいない”状態なのです。

目の前に来た子どもと、本当には一緒にいなくて、自分の頭の中の“考え”や“概念”と一緒にいます。

その“考え”や“概念”には、子どもへの“評価”や“批判”…例えば「なんでこの子はいつもこうなんだろう」とか「もっとこういう風になってほしいのに」「もうそろそろ〇〇ができるようになってもいいんじゃないか」などのことも含まれます。

 

今、近づいて来た子どもがどのような表情で、どんなことを考えて、どんな様子で大人に関わりを求めて来たのか。

自分の頭の中の“考え”から抜け出して、本当に“一緒にいる”と子どもの心が手に取るように伝わって来るものです。

これは“やり方”ではなく、子どもに寄り添っている“あり方”から来ます。

 

“一緒にいる”というあり方が手に入ったとき、子どもに自分の感じていることが自然に伝わるということが起きます。

そして、子どもとの間に共感が生まれます。

子どもの感動を一緒に体験します。

子どものチャレンジを一緒に体験します。

子どもと一緒にゆったりしている時には、このような体験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。一度でも二度でもこの体験がある人は、普段の生活の中でもその体験を思い出しながら試してみて下さい。

ゆったりした時間以外でも、この感覚(一緒にいる)を創り出すことができるのです。

 

 

人と“一緒にいる”というあり方でいると、人のことも自分のことのように喜び、悲しみ、怒りを感じます。

人との間に分離感がなくなり、一体感を感じます。

人だけではなく、動物や植物に対しても、慈しみの心を持つことができるようになるでしょう。

私たち一人ひとりが、“一緒にいる”というあり方で人との一体感が生まれることによって、戦争がなくなり、飢餓や難民を作らない世界に変わると信じています。




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コメント

一柳さま
ニュージーランド(NZ)からのコメント、ありがとうございます!
テファリキは、とても良いカリキュラムですよね。私も好きです。
多岐に渡るNZの幼児教育を本当に現場で使いやすいように、且つシンプルに作られているという点に興味津々の私です。
幼児教育の指針をシンプルに表現することで、多様性が生まれる・・・というイメージのテファリキ。
その語源はアボリジニー語の“織物”ということで、色彩豊かな幼児教育と子どもの育ちが保証されている国なんだなという印象です。
日本の保育・教育も“出来ること”や“知識”を増やすようなものではなく、テファリキのように一人ひとりの子どもが受けとる“質”に評価基準を置くようになって欲しいと願っています。
実際の様子もいつかお聞かせ下さい。
ありがとうございました。

※テファリキについて知らない方へ、簡潔にまとめてあるサイトを見つけましたので、興味のある方は読んでみて下さい。参考までに載せておきます。
http://www.blog.crn.or.jp/lab/01/49.html#7

投稿: ブログの主:なおなお | 2016年2月15日 (月) 21時30分

こんにちは。初めて拝見させていただきました 一柳 菜の葉と申します。

私は日本で幼稚園3年、保育園を4年半経験しました。

その中でいろんな疑問や、たくさんの経験を通して、もっと自分の保育感を磨きたい、大切な乳幼児時代にできるだけたくさんの素敵な種を子どもたちに蒔くことのできる人になりたいと思い、今テファリキを勉強しにニュージーランドにワーキングホリデーを使って来ています。

こちらで現地のプレスクールも3ヶ月経験し、来週はまた違う園に見学に行きます。

テファリキについてインターネットを使い、独学で勉強していたところ、このサイトにたどり着きました。なかなか思うように保育園の実習が出来ず、日本の保育園の子どもたちを思い、自分の保育の勘が落ちているのではないか…生活費のためのバイトの毎日だったので、コラムを拝見させてもらいなんだかほっこりしたというか、保育士だった自分を再確認出来ました。

今後も拝見させてください。
楽しみにしています。

突然のメール失礼いたしました。

2016.2.13
一柳 菜の葉

投稿: 一柳 菜の葉 | 2016年2月13日 (土) 08時44分

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