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“良い”“悪い”を超えた世界

東京は今、紅葉が真っ盛り。遠くに見える樹々が赤や黄色に染まり、パッチワークのような景色を作っています。その景色が目に飛び込んでくる度に、ため息がこぼれます。自然が創り出す色彩やそのバランスはいつも完璧で、自然の中にアートを感じる私です。

 

先日、こんな質問を受けました。

「比べることはいけないことですか?」

子ども達が

『〇〇くんは足が速くて、〇〇ちゃんは遅い』

という話をしていたところ、近くにいた他の大人が

『比べるのは良くないんじゃないの?』

とその子達に声を掛けた時、その話していた子どもの表情が曇ったそうです。

その事にひっかかり、疑問を抱いたようでした。

 

『比べることはよくない』というのはきっと、

『みんな違うのは当たり前で、そのことを受け入れるべき』とか

『人を比較して、評価するべきではない』

というところから来ているのでしょう。

この話によく似ているのは、少し前に話題になっていた、お遊戯会で全員“ももたろう役”とか運動会のかけっこで全員一等賞とか・・そういう類いです。

 

きっと、その話をしていた子どもにとっては、

「車と新幹線どっちが速いか?」と

「あの子とこの子、どっちが速いか?」

ということと同じで、単なる事実を話していただけかもしれません。

それが意地悪な言い方で、ネガティブなエネルギーがこもっている場合は別ですが、子どもの会話というのは、何の意味もなく話している場合も多いのです。

大人が曲がって受け取っていたり、概念で接していることが多々あります。

 

“多様性”という言葉を多く耳にするようになり、人はどこかで『多様性が良い』という解釈になっているのかもしれません。

“男女平等”“男女均等”という言葉も当たり前のように聞くようになりましたが、それが『良いことだから平等にする。男女の差を無くす』ということとも違います。

ただ、“多様”な世界なんだということ。

そして、“平等”という土台の上で自由に選択できる世界であるということ。

それが『良いこと』と言うより、『当たり前のこと』なのです。

 

 

認識力は、比較することで育ちます。

比べることで、自分が「どちらを選ぶか」という選択の基準ができます。

「実際にどうであるのか。」「何があって、何がないのか。」を観ることができる力・認識力は、比べることから始まります。

 

子どもが足の速さを比べることは、単なる競争心からとは限りません。

ただ、どちらが速いか、遅いかというだけで、それ以上の意味でもそれ以下の意味でもありません。

「あの子は足が速い(遅い)」

「あの子は背が高い(低い)」

「あの子は声が大きい(小さい)」

「あの子は編み物が上手(下手)」

など、これらのことは比べる対象があって、認識したことです。

それは、「良い」「悪い」という基準とは別のことです。

 

 

ザトウムシという全長3〜4センチのクモに似た虫がいます。

6本の足と2本の触覚はひょろっと長く、体は米粒ほどの大きさで、触覚で手探りをしながら、ヨロヨロと歩いている虫です。

ある時、子どもがザトウムシを捕まえると、足が一本取れてしまいました。

その子は、バランスが悪くなったザトウムシを見て、反対の足を一本取りました。すると、ザトウムシは残った足で必死に歩いていました。

その子は足を全部取るとどうなるんだろうと思ったのか、足を全部取ってしまいました。そして「うごかなくなっちゃった」と呟いていました。

この話を聞くと、残酷に思う人もいるでしょう。

『正しい事を教える』という人は、「どんなに小さな虫だろうと命は大切なんだ」と説くかもしれません。

私に見えていた事は、その子はただ「足を取って、こうしたらどうだろう」とやってみていただけ。その体験から何かを感じたことが、その子の言葉と表情から見て取れました。

『良いこと』とか『悪いこと』ではない、もっと深い体験をしたようでした。

 

大人は、『それが良いことなのか、悪いことなのか』という判断をしがちです。

ある人にとって『良いこと』も別の角度から見ている人にとっては『悪いこと』ということもあります。

その『良い』『悪い』の争いが、宗教戦争の元にもなります。

 

世の中には、絶対的な『良いこと』『悪いこと』がある訳ではありません。

「私は、何を大切にしている人なのか?」

「私は、何を選ぶ人なのか?」

という自分の“あり方”から、その時その時にする“選択”があるだけです。

その選択をするための認識力が、“比較”です。

 

そして、自分の選択とは別の選択をする人もいます。

『自分が正しい』とか『こっちの方が良いこと』なのではなく、いろいろな“世界観を持っている人がいる”ということが、“多様性”なのです。

 

 

『比べるのは良くないんじゃないの?』

と声を掛けた人も、その人の中で“平等”とか“多様性”について考えたり、勉強したりしているのかもしれません。

それは概念では理解している…という状態でしょう。頭で“理解する”ということは、大人にとっては簡単です。

理解した概念が、実際にその人の“あり方”に現れた時に初めて、“質”となります。

 

初めて自転車に乗る時、乗り方を説明されても乗れるようにはなりません。

実際にやってみて、初めて「乗れた!わかった!」と掴んだ時、その体験こそが概念の本質なのです。その概念の本質を掴んだ時、自分の“あり方”にも違いが出て来ます。

  

『正しい』『良い』と思う考えに出会った時、「その本質は何なのか?」を探究してみて下さい。

 “否定するための比較”ではなく、“認識力をつける比較”を手に入れる時、「良いか」「悪いか」を超えて“多様性”という本質に近づけると信じています。

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