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“愛”と“恐れ”

近所の公園の木に「コナラ」と札のかかった木があります。どう見ても私の知っている「コナラ」とは違います。私の知っている「コナラ」は、葉の色が濃い緑で少しツヤのある、こんもり茂った葉に間に、たくさんのドングリの実を隠し持っているイメージです。その「コナラ」という札をつけられた木は、葉の色は柔らかく、少し繊細なイメージ。

『やっぱり違うよなぁ・・』と思っていた私の横で、小学2年生くらいの男の子が「これコナラって書いてあるよ!本当に本物のコナラなの?!ここにくればクワガタがいるかな?」とお父さんに嬉しそうに話しかけながら通り過ぎていきました。

この「コナラ」にクワガタが来ないことを知ったらがっかりするだろうな・・と、その子が本物の「コナラ」に出会って欲しいと思う私でした。

 

 

虐待のニュースが絶えません。

ニュースを聞く度に、虐待をされる子どもと、虐待をしてしまう母親のことを思い胸が痛みます。

私が保育士1年目に務めた保育園は、虐待が日常茶飯事でした。

0歳児から5歳児までの子ども達が毎朝まっすぐ整列させられてラジオ体操第一をする姿は異様でした。列を乱したり、きちんと体操しない子は、大きな声で怒られたり、突き飛ばされたりすることがありました。子ども達をきちんと整列させられない先生には「ちゃんと叱って並ばせなさい」と放送されました。

それでも言うことを聞かない子どもは、主任や副園長に職員室へ連れて行かれ、目一杯怒られ、おしりを叩かれ・・もっとひどいことに、包丁を見せられて脅された子もいました。

私が担任していた1歳児はイヤイヤ期の真っ只中。嫌がる子どもに言うことを聞かせようと、大きな声を挙げざるを得ない毎日は苦痛でした。

私はそれに反対もできず、ただただ平穏無事に一日が終わることだけを考えながら過ごしていました。

その保育園は、子どもも保育者も“恐れ”に縛られていたのです。

言うことを聞かないと怒られると“恐れる”子ども。

虐待されている子をかばうと自分がいじめの対象になると“恐れる”保育者。

訴えることも考えましたが、訴えたら自分が何をされるかわからないという、目に見えない“恐れ”にがんじがらめになっていました。

保育園の中の世界が全てのように見えてしまうのです。他の世界があることも考えられなくなってしまう…そんな体験でした。

きっと虐待をしてしまう母親も、狭い家の中で子どもと自分だけの、出口がない世界なってしまっているのではないかと思います。

 

 

私たちが地球に存在していることのテーマは“愛”です。

地球には、太陽からのエネルギーが入っています。そして、地球は相対的な星なので、エネルギーも相対的に2つに分かれます。

例えば、1つのエネルギーは「愛」と「恐れ」という2つの側面を持ちます。

私たち一人ひとりの人生の中でも「愛」と「恐れ」の両方を体験することになります。

 

先に書いた、虐待は“恐れ”から来るものです。

他にも、“恐れ”の体験は身近にあります。

・新しいことに対しての行動

「できるかな?」「失敗したらどうしよう」「この先どうなるんだろう」という恐れ

・自分のものを失うこと(大切な人、財産、地位や名声)

「無くなったらどうしよう」「とられたらどうしよう」「自分の人生がかかっている」などという恐れ

・人々や物事や状況を自分と比較し、競争すること

 「負けたらどうしよう」「自分が悪い・自分はダメだと思われたくない」という恐れ

 

このような“恐れ”の体験があるから、反対の“愛”である体験が際立ちます。

・豊かさ、分かち合い、善意、助け合いの体験

 震災等での救済の行動、物質ではない心の豊かさ…

・平和、平安、幸福、喜びの体験

 優雅で穏やかな時間・空間・場…

 

「“愛”のないところには“恐怖”があり、“恐怖”のないところには“愛”がある」

と言われています。

人生の中での出来事や行動は、この2通りの選択の連続のように思います。

先日、階段から落ちて怪我をした人と遭遇し、救急車を呼ぶという出来事がありました。その時の自分を振り返って観てみると、明確に“愛”からの行動でした。その人を助けるという“愛”と“意思”が強くありました。

そして、知らない人だから…という“恐れ”も少しありました。でもその“恐れ”にエネルギーを注ぐこともなく、“愛”からの行動をしているというあり方の私でした。

 

ダライ・ラマ法王が説く『非暴力』は“愛”の行動です。その行動は、“恐れ”があっては成し遂げられないことでしょう。

“恐れ”は人を弱くします。そして外側(見た目)だけを強く見せます。

“恐れ”には、“信頼”がありません。

“恐れ”が敵を作ります。

“恐れ”が依存を作ります。

“恐れ”が、『競争』『暴力』『戦争』の正体です。

 

私たちは地球に“愛”を顕現するプロセスにいます。

私たちは、まだまだ“愛とは何か”ということを、よくわかっていないのかもしれません。

薄っぺらな“愛”ではない、深い“愛”とは何なのか…

一人ひとりが人生の中で様々な体験をしながら、見つけて行くものだと思います。

何を選択するか迷ったときには、「愛であったらどうか?」と自分に問いながら、“愛”である行動を選択する私たちが、世界の・地球の平和に繋がるのだと信じています。



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