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2015年7月

心(霊性)の育み

先日の夕方、街中を歩いていると、ビルの窓が真っ赤な夕焼けで染まっていました。ぱぁっとひらけた場所で空を見ると、沈みかけた太陽の光を受けた薄い雲が、サーモンピンクに光って水色の空の上に浮かんでいました。空全体に何とも言えない淡い色のグラデーションが描かれていました。

夜はどこから来るのかなぁ・・と思いながら見とれていた私に、一つの星が輝いて、夜の到来を知らせてくれました。

 

 

先週、ドキュメンタリー映画『ダライ・ラマ14世』を観ました。

ダライ・ラマ法王を6年間追いながら、法王の背景や大切にしている想いとチベット仏教についてなどが描かれていました。その中でも印象に残ったことは、教育についての場面でした。

映画の中で、インタビュアーが「勉強は好き?」「どうして勉強をするの?」と、チベットの子どもたちに質問をすると、「好き」「社会の役に立つ為に勉強は大切」と目をキラキラさせながら、即答でした。

日本人はというと「嫌い。無理。」「しなくちゃいけないから。就職するために」…とネガティブな答え。この差は歴然でした。

 

また、チベットの子ども達に「今欲しいものはなに?」という質問を投げると、6才くらいの子から高校生くらいの子、全員が「ない。私は恵まれているから」と答えていました。小さな子まで、現状に感謝をしている姿が心に染みました。

“足るを知る”ということが、教育の中できちんと育まれているのでしょう。

 

これらの質問の場面から、本当に“教育”の大切さを感じました。

映画に出て来た子ども達のあり方に違いがいくつか見られました。

チベットの子ども達は、

・勉強をすることに喜びがある

・社会の一員であるという意識を持っている

・自分の意見を持ち、自分の言葉で話せる

・利他的である

・日常の生活に感謝があり、自分にも他者にも愛がある

 

日本人は、

・勉強は必要だから、しなければならないという意識

・“自分”で考えないで、人に答えを求める

・利己的である

・今の社会に“諦め”があり、大人になりたくない、未来に可能性が感じられないという将来に夢がない意見が多い

・自分が社会の一員であるという意識が低い

 

日本人へのインタビューが、映画の制作者の意図でネガティブな言葉を取り上げているということを加味しても、やはり根本の違いを感じました。

その違いはきっと、“教育”だと思います。

 

「心の教育(霊性の教育)と現代の教育(現実的に必要な知識)の両翼があって、初めて飛べる…」

という話が映画の中で出て来ました。

物質的な豊かさの為に・・ということの上に、今までの日本の教育が成り立って来たと思います。そして今でも、良い学校へ行く為、お金を稼ぐ為に必要な知識や教育が重視されているのではないでしょうか。

日本で起きている “いじめ” “不登校” “自殺” “うつ” などの問題に対処するには、『心(霊性)の教育』が今こそ必要なのだと思います。

 

『心(霊性)の教育』=“宗教を学ぶこと”ではありません。

それは、自分の心の探求に始まり、自分の感情・考え・体の感覚などを自分で知ることがまず第一歩なのです。

今、自分は怒っているな・・

今、自分は妬んでいるな・・

今、緊張して体に力が入っているな・・

これらを知ることで、感情をコントロールできるようになり、考えを自分の言葉で表現できるようになって、自分で自分を受け入れられるようになるのだと思います。これが、真の自己肯定感・自己承認なのでしょう。

 

『心(霊性)の教育』が必要なのは、子どもだけではありません。

先ほどの映画に出て来るダライ・ラマ法王への日本人の質問の多くは、

「日本には(自分の周りでは)△△という問題がありますが、どうしたら良いか教えて下さい」でした。

それに対し、ダライ・ラマ法王の応えは、

I don’t know. I’m not you.(わかりません。私はあなたではないから)でした。

 

「どうしたら良いか?」という質問の答えは、私たち一人ひとりの中にあるのです。

今の教育は、何かの知識を“教え”“覚える”ことに重きが置かれています。

でも、本当に大切なのは、“自分で考える”“自分の意見を述べる”という教育なのです。

その為には、自分を知る為の探求と静かに自分を見つめる時間(瞑想・黙想)を持つという『心(霊性)の教育』が必要なのかもしれません。

そして、「自分は誰か?」「自分はどういう人間なのか?」を探求することが、自分の命や他人の命を尊ぶことに繋がるではないでしょうか。

 

 

この映画の中でのダライ・ラマ法王の明るさと軽さが印象的でした。

中国に「ダライ・ラマは悪魔だ」と言われても、悪魔の真似をして笑い飛ばすダライ・ラマ法王。その姿から、一つひとつの出来事…良い事も悪い事も、深刻になることなく、受け入れることの強さと大きさを感じました。

そして、「日本の人は視野が狭い。もっと世界に目を向けなさい。もっと視野を広ろげることが必要です。」という日本人へのメッセージが心に響きました。

 

私たちは、自分のこと・自分の家族・自分を取り巻く環境などには敏感に反応し、悩み、試行錯誤を繰り返します。

でももし、もっと視野を広ろげ、高い意識を持ったならば、目の前に立ちはだかる壁も、実は低い壁かもしれません。

 

『私は何者なのか?』『なぜこの世に生まれて来たのか?』

人間の根本となる質問を繰り返し探求することが、大人の私たちにも必要なのではないでしょうか。

子どもだけでなく、大人にも『心(霊性)の育み』が大切なのかもしれません。

一人ひとりの心が豊かになれば、信頼する心・慈しむ心・愛が自然と体現される社会になると思います。


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“傲慢な社会”から“謙虚な社会”へ

風が強い日に大きな樹に囲まれた森の中を歩くと、まるで樹々が何かを訴えているかのよう。ディズニー映画に出てくる大きな樹の精のようなその姿は、今にも歩き出しそうです。その中で私は圧倒され、畏れ、大きな生命の動きを感じます。

 

最近よく、保育士・幼稚園の先生や教員が保護者に対して非常に気を遣っているようなエピソードを聞きます。

例えば、「親も気づかなかった子どもの小さな怪我の報告に、夜電話がかかって来た。」とか「お友だちと喧嘩をして押されてしまいましたという報告が来た、うちは気にしないのに…」とか「お子さんが○○ちゃんに怪我をさせてしまったので親御さんへ連絡をしていただけないかと言われた。」など・・

保育園では、乳児期の噛みつきや引っ掻きに関して頭を悩ませることが良くあります。それは、子どもが友だちに興味を示し始めた育ちの過程なのですが、怪我をさせてしまうことは良くないということは伝えたい…という保育者や親にとっては、一時期悩みの種になります。

また幼児期になると、子ども同士の主張もはっきりしてくるので、大人がどう関わるかが、子どもへの影響に大きく左右します。

小学校での喧嘩などのトラブルは、休憩時間や放課後などの大人が見ていない時に起きることが多いのではないでしょうか。ほとんどの場合は子ども同士でその時に解決していくようです。でも、後になってから周りの大人が騒ぎ出すというケースもあります。

 

先に書いた、保育者や教員の過剰な保護者対応は、実のところ大人同士の信頼関係の欠如が問題なのではないでしょうか。

モンスターペアレンツという言葉が生まれたのは、我が子のことで烈火のごとく怒りに任せて園や学校に訴えて来る保護者に対して、プロとしての立場から真っ直ぐに向き合う事が出来ない保育・教育の現場が起因していると思います。保育園・幼稚園・小学校がまるでサービス産業のように成り代わってしまっているところもあります。

“真の教育”とは何なんだ、という原点に戻ることが必要なのではないでしょうか。

 

保育者が保護者に“真の教育者”として向き合っていたら、その保護者をただの“怒っている人”として対処することではなく、“一緒に解決に向かっていく人”としてコミュニケーションしたら…

また保護者側も本当に保育者・教員を信頼できていたら、幼稚園・保育園・学校でのことは先生達に任せて大丈夫というあり方だったら…

モンスターペアレンツが生まれるでしょうか。

モンスターペアレンツに使っているエネルギーを子ども達に向けられるのではないでしょうか。

 

今はアクエリアスの時代(アクエリアス星団のエネルギーが地球に入って来ている時代)です。そのアクエリアス星団のエネルギーは、一人ひとりがリーダーという立場に立って、グループワークで目的に向かっていく特徴があります。

親も保育者・教員も一つの目的に向かい、子どもの育ちをグループでサポートしていくことが可能な時代なのです。

 

そのグループワークを達成するには、謙虚な心を取り戻し、コミュニケーションに壁がない社会であることがポイントなのだと思います。

子どもに対して  “(悪い所を)直す”   “(良い事を)教える”  のではなく、それぞれの大人が  “自分のあり方はどうであるか”  を観ることが、真の教育の第一歩なのではないでしょうか。

 

「出来事や相手に対して私は今、傲慢ではないか?」と自分に問いかけてみて下さい。

自分をよーく観ると

「私は間違っていない。」

「子どものことは全て私がわかっている。」

「面倒になる前に謝っておけばいい」

「大事になる前にこちらが折れればいい」

・・などという傲慢さを持っているのではないでしょうか。

それが傲慢だとすら気づいていない“傲慢さ”。

 

“傲慢さ”それは、人間ならば誰でも持っているエゴです。そして目を背けたくなる様な汚い部分です。

それを持っているその瞬間の自分を認めること…それが、“謙虚さ”を手に入れる第一歩なのです。

 

傲慢な人間のあり方が、地球を汚染して来ました。

海はゴミで溢れている。

山や自然は人間の利の為に荒らされている。

動物も住みにくくなり、絶滅の途に向かっている。

経済至上主義の産業の末、地球を汚染し、

極めつけは、原発で地球の存続をも脅かしている。

 

今こそ、謙虚なあり方を手に入れる時です。

謙虚であるということは、“学び”があり“成長”の機会の扉が開きます。

私たちが謙虚なあり方を手に入れたら、身近な小さい問題から大きい問題までを扱える糸口が見つかるのではないでしょうか。



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過去を完了する機会

いつも通る道を、考え事をしながら歩いていた時のことでした。

ふと細い路地の奥に目を送ると、真っ白い見事な百合の花。

薄暗い路地の中に、真っ白く輝いている百合の花だけがふわっと浮き上がっているよう…。幻想的な世界に迷い込んだかのような風景に、思わずため息がこぼれた私でした。

 

 

最近、人間関係(友人・仕事の関係者)で、以前苦手だと思っていた人達と、今は何のわだかまりもなく過ごすことができていることに気がつきました。

意識をしていなかったけれど、自然とそうなっている自分に驚きました。

ほとんど関係が変わらない人、より関係が近づいた人、逆にあんなに仲が良かったのにいつの間にか遠のいてしまった・・という人もいます。

こういう風に、自分の人間関係と周りの環境が変化していることを肌で感じています。

今の時代、誰にでもこうしたことが少なからず起きているのではないでしょうか。

 

 

子ども・パートナー・友人・同僚・親・・、私たちは自分を取り巻く様々な人との関わりの中で生きています。

そして私たちは、人と関わる時に自動的にその人との過去を目の前に置いてしまいます。

「この人には以前、叱られたから良い報告だけをしよう」

「この人とはトラブルがあったから、当たり障りのない話をしておこう」

「この人は何を言っても聞かないから、話を合わせておこう」

・・・など、過去の出来事を通してその“人”と向き合っています。

言わば、過去の出来事に対する思考と向き合っていて、その“人”とは向き合ってない状態です。

 

そして、近い存在である自分の子どもやパートナー、親、毎日会う園児に対しては、しっかり過去の思考がこびり付いてしまっていることが多いようです。

 

何かトラブルが起きる時、頭の中では

「またこんなこと言ってる。いつも同じなんだから」

「またこんなことして、いつも同じことを繰り返すんだから」

「いつも話を聞いてくれない」

「いつも否定する」

と、過去からの思考を強化するような、証拠探しを始めるのではないでしょうか。例えば、「また」「いつも」という言葉が自分の中に出て来たら、それに続く言葉、それはもう過去から来た言葉です。

トラブルが長引く原因は、それぞれがその過去からの思考・体験を目の前に置いているからなのです。

 

トラブルが起きた時は、過去を過去だと見破るチャンスです。

まずは、自分が過去からの思考で相手を見ていると気づくことです。

その過去というのは、代々受け継がれてきているものもあります。

“自分も子どもの頃に親から言われていた言葉を発している。”

“親同士の関係が、自分のパートナーとの関係と同じ。”

幼い頃の体験を、無意識にそのまま再現していることもあります。

繰り返す、似た様なトラブルが起きていることに気づいたら、それは過去から受け継ぎ、引きずっているものなのかもしれないのです。

 

トラブルの最中に、

「この思考は過去から来ているのかもなぁ」

「今、自分はどんな風に相手を見ているのだろう」

「今、自分は相手の言うことをそのまま聞いていないのかもしれない」

と、自分の目と耳に注意を向け、自分にとって相手がどんな風に見えていて、どんな風に聞いているか、自分を観てみることが大切です。

それらに気づいたら、そのままを受け入れて、過去は過去に置くことです。

 

そして、一番大切なことは、ハートを開くこと。

トラブルが起きているその最中にハートを開くには、強い意志が必要です。

「この過去からの思考の連鎖を今ここで終わりにする」という強い意志です。

 

子どもがイヤイヤ〜!!と泣き始めた時。

「くそばばぁ!!」と生意気な口をきいて来た時。

パートナーの一言が刺さった時。

親が相変わらず干渉してきて、嫌気がさした時。

「この過去からの思考の連鎖を今ここで終わりにする」と決めて、力を抜いて、息を吐いて、ハートを開く…

すると、目の前にいる相手の姿が違って見えて来るかもしれません。

「バカ!」という言葉の中にある“愛してる”が伝わって来るかもしれません。

自分からハートを開き、自分に入って来るもの、見えて来るもの、聞こえてくるものの違いを感じてみて下さい。

 

こうして過去を受け入れ、過去を過去に置くことができると、目の前にクリアーなスペースができます。

この世の中は、“過去”の連なりからできています。

でも本当に“今ここ”を体験すると、全てが新しく、真っさらな世界なのです。

そこから目の前の人・事、と向き合ってみてください。

問題があってから向き合うだけではなく、いつも“今”目の前の人と向き合うことで、その人の“今”が見えて来るでしょう。

 

特に今は、人類が過去に作って来た原因が、様々な出来事として噴出している時です。

原因と結果の世界なので、過去に作った原因の結果が噴き出しているのです。

今、私たちができることは、その一つひとつを“完了の機会”として対処すること。

何か感情や考えを引きずっている間は、“完了”ではありません。

“完了”すると、目の前と自分の体の感覚に軽さと明るさと広がりを感じるでしょう。そして次へ進むパワーが湧いて来ます。

 

目の前に起きて来ることは、家族とのぶつかり合いや友だちとのすれ違い、職場での人間関係など・・非常に個人的なことに見える出来事です。

でも、その一つひとつを完了することが、世界が引きずっている過去に影響を与え、世界がクリアーになる一歩となります。

そのことでクリアーなスペースができ、全く新しい時代を創り出すことが可能になるのです。




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平和のエネルギー

ボトボトボト…大粒の雨が突然降り始め、慌てて窓を閉めに行きながらも、それを楽しんでいる私がいます。その雨の音と一緒に、「きゃー!」と子どもの声。急な雨にびしょ濡れになりながら、慌てて建物に入っていく子ども達が見えました。中にはわざと雨に当たっている子どももいました。その子も私も突然の雨で少しだけお祭り気分です。

 

 

今週の半ば、連日の国会前デモに参加しました。そこで、警備にあたっている警官とぶつかっている人がいました。それは、警察対デモ参加者という敵・味方という意識が双方にあるように感じました。

 

私は戦争反対です。それは、平和を望むからです。戦いからは憎しみと悲しみしか生まれません。戦争をしても本当の平和は来ないのです。

デモに参加しているのは、平和を望むからです。

警官が敵な訳ではないのです。そこで敵・味方となってしまうと、戦争をするエネルギーと同じものをつくり出すことになります。

私たちがつくり出すのは、平和のエネルギーです。

 

「へいわってすてきだね」という、沖縄に住む6歳の子が書いた詩が元となった絵本があります。6歳の子どもが、「へいわってなんだろうってかんがえてみた」と平和について考えているのです。

「ああ、ぼくはへいわなときにうまれてよかったよ。このへいわがずっとつづいてほしい・・・」

この子は平和ということを肌で感じていることがわかります。真の平和を知っているのではないでしょうか。

 

 

子ども達は喧嘩をします。時には取っ組み合いになるほどの喧嘩になります。

以前こんなことがありました。2歳児と1歳児の男の子が、一本の棒をめぐって大げんか。お互いに服をつかみ合い、一本の棒を二人で離さず、「だ〜めぇ〜!!」と大きな声を出して…。すると、元々棒を持っていた子がポカッと相手の子を叩きました。叩かれた方が「うわぁ〜〜ん!!」と大声で泣き始めると、叩いた子も「うぇ〜〜ん!」と泣き出し、喧嘩はおしまい。

お互いに十分に泣いて、水を飲んで、落ち着いた時…叩いてしまった方の子が、「はい、いいよ」と言いながら、棒を差し出したのです。

叩かれた方は、「あは」と嬉しそうにニコニコしながら受け取り、帰りは手を繋いで帰りました。

 

喧嘩は、ネガティブなエネルギーのぶつかり合いです。

そのエネルギーが十分に出てしまえば、けろっとしてしまうものです。

子どもは喧嘩をしたり、泣いたり、大きな声を出しながら感情のエネルギーを外へ出していきます。

喧嘩の後に、ケロッとして仲良くなるのは、子どもには“今”があるからです。ネガティブなエネルギーが外に出てしまえば、それで終わりです。

喧嘩の原因なんて実は関係ありません。

そして、喧嘩の後の心地良さから、平和を体感していくのです。

 

もし、周りの大人が喧嘩を途中で止めて、泣いたり怒ったりすることを我慢させたり、その喧嘩の原因を追求したりしてしまうと、喧嘩のエネルギーが未消化となって、後々まで引きずってしまいます。

“子どもの為”“子どものせい”と言いながら、動揺や喧嘩は悪いという大人が持つネガティブなエネルギーから子どもに関わることで、子どもの感情を抑圧してしまうのです。

 

大人自身が「自分は今、どういうエネルギーを発しているのか?」を観ることが大切です。

問題が起きた時に、大人が発しているエネルギーがその場に影響を与えているということも少なくありません。

子どもが落ち着かない時、子どもが喧嘩になりやすい時、子どもが泣いてばかりいる時・・

子どもだけを観るのではなく、その瞬間の大人自身の状態も観てみましょう。

「不安なんだなぁ」

「動揺しているなぁ」

「大きな声にイライラしているなぁ」

「喧嘩が起きて欲しくないと思っているなぁ」

「子どもが怪我をすることを恐れているなぁ」

「喧嘩につられて自分も喧嘩腰になっているなぁ」

・・と、自分の感情や考え、それに伴う体の緊張や声の大きさなどに気づくでしょう。

 

大人自身が「その場の状態は自分が扱えるんだ。」と、冷静に対処することが大切です。

そして、その場が落ち着いた状態、心地良い状態になるまで、自分を観察し、自分を引っ張っていくのです。

 

 

今、デモに立ち上がっている若者も沖縄の6歳の子も、平和のエネルギーを感じて育っているのでしょう。

子ども達へ私たちが出来ること…それは、平和な世界を創ろうと立ち上がること、そして日常の中で、私たち自身が平和のエネルギーとして存在することなのではないでしょうか。

 

今、私たちにとって一番重要なのは、地球環境の問題です。ローマ法王が先日「私たちの共通の家(地球)の保護について」(リンク先:毎日新聞)という192ページにもおよぶ回勅を発表されました。それは、今すぐ地球を救う行動を取るように人類に呼びかけ、気候変動と世界の不平等の科学面と倫理面を一つにするという歴史的な発表でした。

 

地球という一つの惑星に住む私たち人間。世界中の人や動物は一つの大きな家族なのです。家族同士での殺し合いはいりません。地球を救う行動の方が、より重要で深刻です。

今、人類という家族で、地球を救うことに一丸となる必要があるのです。

私たちの惑星を救え!Save Our Planet!

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新しい自分を創作する機会

昨日まで降り続いた雨で、公園の草木が元気に伸びて来ました。強い陽射しの中、広場の草むらに腰を下ろすと、草の葉がひんやりとして心地良く感じました。気持ちよくて思わず寝転がると、顔にジリジリと照りつける太陽と背中から伝わるひんやりとした草の葉、その両方の存在を肌で感じたひとときでした。

 

 

先日“日本子ども子育てネット”主催の専門職セミナーに参加して来ました。

現代の子どもの様々な身体的問題を調査・研究していて、その発表がありました。

姿勢が悪い子どものデータ、手指の使い方の調査、食を通じた調査や排便の問題についてのアプローチ例など、どれもなるほど・・と感じる内容のものでした。

そこで、大人のあり方次第で子ども達に良い変化を与えられるのではないかと感じました。

 

例えば、野菜の摂取量の調査から、野菜の摂取量が多い子どもは、早寝早起きで排便もきちんとある、規則正しい生活リズムになっているということでした。

野菜の摂取量が多い家庭では、きっとバランスの良い食事を心がけ、早寝早起きを促しているような、生活リズムを作ることが出来ているのではないかと思います。

 

年齢別ボール投げの調査では、遠くまで投げることができることと、握るという動作の遊び(棒を握る・石を掴むなど)と関係があるかもしれないということを発表していました。

棒を握る、石を掴む・・という遊びは、子どもが興味を持つ遊びです。でも、危ないからという理由で止めているのは大人や現代の社会環境です。

 

このように、大人のあり方が子どもに影響するのではないでしょうか。

 

「自由に伸び伸び保育したいが、保育園がそういう方針ではないからできない」「子どもを自由にさせておくと他の人に迷惑がかかってしまいそうで、ついつい止めてしまう」

という話を良く聞きます。

“自由に伸び伸び”“子どもらしく・・”という子育てや保育を望む人は多いものです。そして子どもは、その方が真っ直ぐに育っていくということを今回の調査の発表で確信しました。

一方では、生活環境や他の人との折り合いをつけることがなかなか難しいという面もあります。

 

 

世界各地を50年以上旅しながら講演していた、インドの哲学者がいました。ある時、その哲学者は講演に集まった聴衆に

『私の秘密を知りたいですか?・・私は何が起きようと気にしない、それが私の秘密です。』

と話したそうです。

彼は、“何が起きても私は責任をとれる人です”という揺らがないあり方からこの言葉が出て来たようです。

 

子育てをしている中で、また保育園・幼稚園で保育をしている中で、いろいろなことが起きるでしょう。

その時に大切なのは、起きたことをそのまま受け止め、責任をとれる自分なのだという揺らがない心なのです。

「何が起きようと気にしない」

それは無関心で、何もしないという訳ではありません。

起きたことに対して、“今、私はどうあるか?”という自分への問いかけと、覚悟なのです。

 

“子どもを尊重している…そして、毅然としている”というあり方であれば、子どもの自由な発想は最大限に尊重するが、何か人に迷惑がかかるようなことが起きた時や起きそうな時は毅然とした態度で、注意をするでしょう。

“全ての分野で、子どもが伸び伸びと健やかに育つ、社会環境が大切である”というあり方であれば、自然と生活リズムはきちんとコントロールされ、心も体も健全な社会環境ができるでしょう。

 

「子どもが健やかに育つ為に、早寝早起きをさせましょう。その為には〇〇をして、△△をさせると良いです。」というような“やり方(Do)”は、わかり易く、それを知ることで安心材料にはなります。

でも“行動(Do)”の元は、“あり方(Be)”なのです。

 

「今、どうである自分なのか?」

「どういうことを大切にしている自分なのか?」

「どんな自分でありたいのか?」

という、自分への問いかけがスタートです。

“あり方”を創る時は、自分を観る必要があります。

“子ども”のせいにはできません。

“家族”や“他の先生”“園の方針”のせいにもできません。

“自分”と向き合うところから始まるのです。

「“こんな”人になりたいなぁ・・」ということが浮かんだら、もうあなたは“その自分”になれるのです。

“その自分”で考え、行動していくと、自然と“あり方”が伴ってきます。

 

「最近の子どもがおかしい」と言われている今。

大人の“あり方”を見つめ直し、それぞれが新しい自分を創作する機会なのではないでしょうか。



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頭の中の会話

風鈴を買いました。窓際に吊るすと、チリン、チリン…風に吹かれて時折響くその涼しげな音に耳を澄ますと、遠くにセミの声。

風鈴の音にセミの声…そして田園風景と青い空、縁側とスイカが思い浮かびました。心のふるさとが私にもあるようです。

 

 

駅でこんな男性を見かけました。

「あぁ、暑い暑い…なんでこんなに蒸し暑いんだ…あぁ、暑い暑い…あぁ(電車は)まだかよ…あぁ、暑い暑い…」と、ずっとつぶやいているのです。

大きな声ではなく、感情的になっている様子でもありません。ただ頭の中で呟いている言葉が勝手に口から出て来ている様子でした。

私はその人の様子を見て、思わず「ふふ・・」と笑ってしまいました。すると、近くにいた人に「なに?」と言うように見られました。

私も頭の中で考えていたことが表に出てしまった瞬間でした。

 

人はこんな風に、表には出さないかもしれませんが、いつもいつも頭の中では何かを言ったり、考えたりしています。瞑想をすると“雑念が・・”などとよく言いますが、この頭の中のつぶやき・独り言は止まりません。

「何も考えてはいけません」と言われると、頭の中では“何も考えないってどういうことだ?”“真っ白ってことかな”“白を思い浮かべればいいのかな…”という具合に独り言が始まります。

意味のない考え、何かへの批評・批判・評価…など、そのつぶやきは止まりません。

時にはその自分の頭の中のつぶやきに振り回されます。

 

先日初めて会った女性と話していた時でした。その人は友人にそっくりでした。彼女は一生懸命話してくれていたのに、私は頭の中で“〇〇くんにそっくりだなぁ・・。お母さんだったりして。今度聞いてみようかな。”などと自分の中のつぶやきで頭はいっぱい!全然話を聞いていませんでした。そして最後に「…なんですよねぇ〜」とニコニコっとされた時に、ハッと我に返り「そうですねぇ・・」と言いながら、“わぁ〜聞いてなかった!”と自分に驚きました。

また別の時には、人から言われた事に腹を立てて、そのことをず〜っと“自分は悪くない…あの人はいつもこういう風に言うんだ”などと自分を正当化する考えを引きずり、そのせいでイライラし、自分は悪くないという事ばかり頭の中で考え続けている…ということもありました。

 

自分に都合が悪い場面や何かに対して不満に思っている時など、その時に頭の中で繰り広げられるのは、独り言劇場です。

“まったく、誰も手伝ってくれないんだから…”

“私だけいつも大変なんだ…”

“こんなところにこんなもの置くからいけないのよ…”

もしかしたら、子どもや家族に対してだと、それが言葉として出てしまっていることもあるのではないでしょうか。

「あ〜ぁ、こんなにこぼして〜」

「これやっておいってって言ったのに〜」

「片付けてって言っても聞かないんだから〜まったく・・」

などなど・・

自分が言っていたり、親が言っていたのを聞いていたりと、このような言葉を耳にした事があるのではないでしょうか。

これは、駅で暑がっていた男性と同じです。

こうした文句は、掛けっぱなしのラジオのように限りなく頭の中を流れています。

 

「こんな風に思ってはいけない」とか「私はこうだから仕方がない」と、あたかも頭での思考が真実かのように思ってしまいますが、そのことに関して反省したり、あきらめたりすることは検討外れです。

“ただその思考が頭の中にあるだけだ”と自分で認識することが大切なのです。

頭の中で考えている事が、真実ではないかもしれません。

真実は“今”この瞬間に起きている事・物、それだけです。

 

頭の中は、一種のバーチャルな世界です。現実に思えるかもしれませんが、それは過去の体験から作り出した幻想なのです。

 

現実は“今”この瞬間、目の前に見えている事・物です。

 

 

人が持っている“悩み”は、だいたいこの頭の中の作り事です。

“悩み”や“葛藤”“動揺”は、成長のチャンスです。

それらを試行錯誤ながら実際に扱うことによって、そのプロセスが自分の成長に繋がるのです。

 

子どもへの“悩み”も尽きないと思います。

それは親が頭の中で持っている“悩み”で、実際に子どもの事ではないのです。

でも、時々その“悩み”が子どもに移ることがあります。

「おまえが悩みの種だ・・」と言い続けると、子どもは「自分は親の悩みの種なんだ」と、そのことがどんどん現実のこととして歩き始めてしまいます。

“子ども”が“親の悩み”を背負う必要はないのに、それを背負って歩くことになるのです。

 

頭の中の考えから抜け出す第一歩は、「抜け出す」と決めること。そして、頭の中での独り言に気づく事です。

思考はラジオと同じように、ただ流れているだけ…。

頭の中のひとり会話に気づかないと、その会話に操られた人生になってしまいます。

そうならない為にも、自分の頭の中の会話をキャッチし、

もう一人の自分がただその会話を眺めているようにする…。

それを“ダメだ”とも“良い”ともせずに

“第二の自分”として、“ただそれがあるなぁ”と客観的に観ることが大切です。

 

このように大人自身が取り組む姿を見て、感じて、子どもは育っていきます。

そして子どもが人生で躓いた時に、自分がどのように抜け出したか…という体験を分かち合うことが、子どもへの力づけとなるのです。



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あり方から来る言葉の表現

雨が降り出す直前、ブタナと呼ばれるたんぽぽのような花が一斉に花びらを閉じます。みるみる閉じていくその姿は「閉店で〜す」と言われているかのよう。

昨日、道端に咲いていた花が一斉にギュッと目を瞑るように閉じていました。雨が止むのをじっと待つかのように…。その花が一斉に開き、陽を浴びる姿に思いを馳せたひとときでした。

 

 

つい先日、パン屋の店長さんの言動に思わず釘付けになりました。

その店長さんは、言葉は短く「(パンの包み方は)どんな感じ?」とか「(小分け袋)いる?」とか「(お客にありがとうと言われ)はい、ありがと」とおじいさんやおばあさんに応対していて、一見ぶっきらぼうなのです。声は低くけれど、すっと耳に入って来るとても聞きやすい声でした。

他にも店員さんが居たのですが、わざわざその店長さんに声をかけてから帰るお客さんの姿もあり、私の隣にいた老夫婦は、「今日は店長さん(トレーを運ぶの)手伝ってくれなかったな」「うん。忙しいんだね」と話していました。きっと普段はお年寄りにいろいろ気遣いをしているのでしょう。

店長さんの言葉は短くてぶっきらぼうに聞こえても、全く嫌な感じはせず、その言葉から優しさが伝わり、お客さんとの間に信頼があるように感じました。

店長さんのあり方がお年寄りにとって安心感となっているようでした。

 

もう1つ、素晴らしいと思った事があります。

今の政権に対して学生達が自主的に立ち上がり、デモを行った時の学生の言葉です。男子学生のスピーチが書き起こされている記事を読みました。

その言葉には新しい表現がありました。一言一言が明確で、単に否定し責める言葉ではなく、今の世の中の問題点を淡々と述べ「安倍首相、私たちはあなたを置いて前へ進みます。人間の社会は進歩するのです。近いうちに歴史が証明するでしょう。」という言葉で締めくくられていました。※参考までに、一番最後に記事を載せました。

そこから感じるのは、強い意志の力が言葉に乗って、過去の歴史や未来の可能性をも含んだ、人類に対する愛のエネルギーを感じました。

 

言葉というのは、“意味”と“音”に分かれます。

“意味”だけを聞いていると、“良い事”を言っている人でも「この人本心を言っていないな…」と気づく事がありませんか?

それは、何で判断しているかというと、その人のあり方から来る音のエネルギーが伝わって来るのです。

“意味”は、頭で考えている思考から来る言葉です。

“音”というのは、パワーであり、エネルギーです。

クリアーで通る声の人と話をしていると、言葉の意味よりも、パワーや伝わって来るそのエネルギーが印象に残るのではないでしょうか。

 

“意味”と“音”のエネルギーが両方合わさる事で、聞き手にその言葉がありありと伝わるのです。言葉を発している側の考えや意見が、聞き手に体験として入って来ることを可能にする力が言葉にはあります。

 

自分の言葉にはどんなエネルギーが乗っているだろうか、今。

自分は何を伝えたくて、今言葉を発しているのだろうか。

・・・と、一言、一言に意識を向け、自分を観察することが第一歩です。

このように自分の言葉に意識が向くようになると、「言わなければよかった」と後悔する様な言葉は出て来なくなります。

 

 

今回遭遇したパン屋の店長も、デモの学生も、言葉にエネルギーが乗っています。そして、あり方に伴ったその言葉が、人を引きつけ、人の心に何かを吹き込む表現力となるのです。

真のリーダーとは、言葉にパワーがあり、人を引きつける資質を持っているのではないでしょうか。

このように、言葉と行動に質が伴う人が増えていくことで、世界が平和に近づいて行くのだと思います。


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あるがまま

私はどんなにきれいな街並みよりも、どんなに素敵な絵画よりも、一番美しいアートだと感じるのが、自然です。

森の中を歩いている時に見る、古木の幹を伝うツル性の葉の規則正しさ。

道端に咲いている小さな花の緻密で繊細な花びら。

オレンジ色に染まった夕暮れの空が濃い紺色に変わっていくグラデーション。

一輪のひまわりを手にしても、自然への畏敬の念とともに大自然のアートに浸る体験があります。

 

 

 “ある大物歌手が何度経験しても、大きなステージの前になると緊張する。そんな時は「楽しめ」と自分に言うそうだ。”

という様なエッセイを読みました。

私も以前、あるプログラムの最終プレゼンの直前で緊張している時、「緊張があるのは当たり前。ただそれをポケットに入れて発表に望みなさい」と知人からアドバイスをもらった事があります。

 

 

人というのは、良くも悪くも想像力豊かな生き物です。

頭の中で『失敗する場面』『間違える場面』『欲しい成果が手に入らなかった時のこと』…などなどを想像し、緊張を引き起こします。

そのほとんどは、『まだ起きてもいない事への不安や心配』が多いのです。

 

以前、こんな相談を受けた事があります。

「うちの子、デベソなんですけど、小学校に上がる前に手術した方が良いでしょうか?」…と。

少し気の弱い感じの子で、子ども同士のちょっとしたやりとりでも“やられた〜”と大人に訴える子でしたから、小学校に入ったらデベソが原因でいじめられるかもしれないという母親の不安からの相談でした。

 

このように、人はまだ起きていない事への不安を抱えて生きていることが多いのです。

生涯ひとりきりだったらどうしよう

お金が無くなって苦労したらどうしよう

怪我をしたらどうしよう

病気になったらどうしよう

子どもがいじめられたらどうしよう

子どもが苦労したらどうしよう

などなど…未来への不安が尽きない人も多いのではないでしょうか。

特に子どもに対しては、子どもが失敗しないように…、悪いことが起きないように…と、子どもが体験することを“あるがまま”にしておくことは難しく感じるでしょう。

 

自分のこうした考えに頭の中が支配されると、感情も不安になったり、落ち着かなくなったり、体は力が入っていたり、逆にフワフワして力が入らなくなったり…と、“未来への不安”に乗っ取られた状態となり、表に現れてくる行動も“未来への不安”からの行動になります。

このような時は、思考と感情が混乱している(カーママナス)状態なので、言動も混乱してくるのです。

 

 

前に書いた、“緊張”している自分から“楽しむ”という自分にシフトしている大物歌手は、自分の“緊張”という状態を、客観視できているのだと思います。

まず自分がどういう状態であるのか、を認識する事が必要です。

今、自分は緊張しているなぁ

今、自分は不安なんだなぁ

 

これは、自分が緊張や不安“そのものだった状態”から、それを“手に持って眺める”ように、区別する心の中での作業なのです。

先に書いた、「緊張をポケットの中に入れる」ということは、

ただ今の自分の状態を認識し、そこにあるんだ…として観ること。

“あるがまま”がそこにある状態です。

 

今の“あるがまま”を受け入れると、その先の未来の結果に対しても“良い”“悪い”がなくなり、“失敗”“成功”もなくなります。

 

子どもの“あるがまま”を認めるためには、自分の瞬間、瞬間の“あるがまま”を認めることが大切です。

 

もし〇〇が起きたら・・

もし〇〇になったら・・

もし・・・

と心配し続けている中では、“今”起きていることを本当に見ている訳ではないのです。

“あるがまま”を見つめ、「これでよし。」とすることが、大人が子どもにしてあげられる大切なことの一つだと思います。

 

私たち一人ひとりが目の前の“あるがまま”を見、そこから選択し、行動することが、地球や人類への貢献に繋がるのだと信じています。


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