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見る目と聞く耳

ベランダのミントが梅雨の晴れ間の陽を浴びようと、葉っぱの一枚一枚を目一杯広げていました。まるで背伸びをして「もっともっと!」と何かをねだる子どものようで、愛おしく感じた私でした。

 

 

ある本に『今は大事な情報の把握が困難な世界だ』とありました。

世の中はたくさんの情報で溢れていますが、自分が本当に欲しい情報を掴む事はなかなか困難です。大量の情報を一つひとつ吟味するには、相当な時間と労力を必要とします。なので、人は瞬時に読むか、読まないかを判断するということです。

では、私たちはどういう判断で「読むか・読まないか」を決めているのでしょうか?

 

例えば、私が“幼児向け英会話”という情報を得たいとしましょう。それには、2つの観点があります。

1つは、幼児期に英会話を始めることは良いという観点。

もう1つは、幼児期に英会話を始めることは良くないという観点です。

例えば、1つ目の観点で、情報を調べると、それを裏付ける情報が集まるでしょう。『早ければ早い方が身に付く』とか『発音がネイティブスピーカーのようになる』というような、メリットがたくさん目につくと思います。

もう1つの観点で、情報を調べると『子どもが混乱する』とか『母国語(日本語)に影響が出る』というような、デメリットが目につくでしょう。

 

大切なのは、“今、自分はどんな観点を持っているか”ということなのです。

子育てに関する情報を見る時も、「自分は誰か?」「自分は何を大切にして子どもを育てる人であるか?」ということを自分自身で知っていること…それは、自分で創った基準(器)を持っているということなのです。その基準(器)を持っていることで、それに合った情報が自然と入って来るようになります。

 

そして、もう1つ大切な事は、自分が“目にするもの”“耳にするもの”に責任を持つことなのです。

私たちはほとんど無意識のままに、様々な情報を目にし、耳にしています。

その情報一つひとつに、責任を取り始めるようになると、見聞きした情報をそのまま鵜呑みにするのではなく、情報を取捨選択することができるようになります。それが、自分の見る目と聞く耳に責任を持つということです。

 

世の中の情報は、人の噂話だったり誰かの解釈だったりと真実とは違うこともあるのです。

それらを見極める私たち一人ひとりの認識力が必要です。

その認識力は、実体験から得られます。

体験してみてどうだったか?どう感じたか?

その体験なくしては、認識力は得られません。

 

例えば、一つのドーナツを食べてみて、「もう少ししっとりしている方が好きだな」とか「ちょっと甘すぎる」という評価が出て来るのは、他にもドーナツを食べたという体験があるからなのです。

いくら“甘くないドーナツ”と誰かが説明していても、自分が“甘すぎる”と感じたら、その感じたことが自分の認識になります。

 

 

良い情報も悪い情報も、本当も嘘も、入り混じっている今の世界。

自分の見る目と聞く耳を鍛える必要があるのかもしれません。そして、自分で認識するということが大切です。

 

自分の基準(器)から、必要な情報が入り、揺らがない軸を手に入れることで、見る目と聞く耳に責任が取れるようになるのです。

そこで初めて、自分の足で歩くという人生が手に入るのではないでしょうか。

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