« 見る目と聞く耳 | トップページ | 場を育む »

観る目と聴く耳が創り出す場

英語の童謡で「rain rain go away…♪」(あめ、あめ、あっちいけ…)という歌があります。先日、雨の日に自然とその童謡を口ずさんでいた自分に気づきました。その日は雨がジトジト降り、ムシムシして不快に感じていました。

雨空を見上げ、雨粒が落ちて来るのを楽しんでいる時は、日本の童謡の「あめ、あめ、ふれ、ふれ、かあさんが…♪」と雨を楽しむ歌が出て来ます。

鼻唄がその日の気分で変わると気づいた時、逆に鼻唄で気分を変える事もできると思いました。

 

 

“学年ビリだったギャルが、慶応大学を現役で合格した”という本を読みました。母親と塾の講師がこのビリギャルの力を信じ、本気で彼女の力をどう引き出すかと、様々なアプローチを試みている姿が描かれていました。

テストをしても、問題の言葉の意味すら理解できないというビリギャルの学力は、高校2年生の時点で小学校4年生程度だったとのことです。でも、「挨拶がすぐに出来た」とか「イメージは掴んでいる」などという、ほんの少しの肯定的な可能性をこの講師が見い出し、それを誉めて、楽しく学力を伸ばしている姿に共感を覚えました。

 

私たちは、何か一つの問題点があると、それをどうにかしようとしがちです。

身近な例を挙げると、よく転ぶ子どもに「ほら、転ばないようにね」と声を掛け、転ぶと「ほら〜言ったじゃない」となります。そして、「うちの子は運動神経がない」とか「そそっかしい」と、決めつけてしまう…という事が多いのではないでしょうか。

 

物事は1つの角度からだけでは判断できません。多角的に捉える必要があります。

例に挙げた“良く転ぶ”という要因はたくさんあります。

身体的な要因(内股で自分の足につまずく、X脚で膝がぶつかる、寝不足、視力が弱い)

外的な要因(靴や衣服が合っていない、道がでこぼこしている、坂道)

精神的な要因(置いて行かれたくない・負けたくないなどと焦り易い、注意が他のものに向き易い)

成長的な要因(走れるようになったことを本人が喜んでいる、転びながら体幹が育つ時)

などなど・・他にもあるかもしれません。

 

大切なのは、その子どもの特性をよく観るということなのです。

表面的に見えていることは、『よく転ぶ』ということ。それは、結果なのです。

表面に出ていない、裏側の現象や質をよく観察することが、大人にできることです。

今、この子はどんな体の動きをしているのか?

今、この子はどんなことに興味を惹かれているのか?

今、この子はどんな気持ちなのか?

今、この子はどんな成長をしている時なのか?

 

今、目の前の子どもの姿を観て、聴く、と同時に自分を観察するということが大切なのです。

今、自分は何を感じているのか。

今、自分は何を考えているのか。

今、自分は何を言うのか?

今、自分は何を言わないようにするのか?

今、自分はどう関わろうとしているのか?

 

子どもを観ている時、同時に自分の今のあり方を観る…ということが大切なのです。

 

間違い探しのような目ではなく、愛情を持った温かい目

言う事を否定するような耳ではなく、愛情を持った温かい耳

それが今あるだろうか。

その目と耳で、子どもを観察したときに、子どもの中に可能性の光を観るのではないでしょうか。

 

 

観察が大人の解釈に基づいているのではなく、子どもの姿、そのままを捉えられるようになると、子どもと一緒に同じ体験をしている自分に気がつくかもしれません。

文字通り、“自分の事のように”子どもの体験を体験している・・・

子どもが転んだ時に出て来る言葉は「あ〜いたい、いたい。痛かったね。」という、その子どもの痛みと共感した言葉が出て来るようになると思います。

 

様々な出来事は、一方向だけで成り立っている訳ではありません。

自分、子ども、その他の人々、それらを取り巻く環境…全てを含む“場”の中で起きています。

“場”で起きる出来事は、自分を含めた全ての事が影響し合っているのです。

 

その事を私たち一人ひとりが認識し始めると、自分個人の問題だけではなく、地域社会、日本、世界、地球…などの問題も自分のこととして見えるようになり、“自分さえ良ければ”という考えがない世界になるのではないでしょうか。

25

|

« 見る目と聞く耳 | トップページ | 場を育む »

コラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 観る目と聴く耳が創り出す場:

« 見る目と聞く耳 | トップページ | 場を育む »