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恐れ

良く通る道に、淡いピンク色のあじさいが咲き始めていました。そのあじさいはまだ7分咲きくらいで、満開になるのを楽しみにしている私です。次の日にそのあじさいの前を通りかかると、咲き始めた花が全てくた〜と下を向いていました。暑さにバテた様子を見て、思わず日傘でも差してあげたくなりました。

 

 

イギリスの保育事情の記事を目にすることがありました。それは、一流だと称されている幼稚園に子どもを入れる為に、親が必死だ…というような記事でした。イギリスの方が先進的な保育・教育をしているのではないかと思っていたので、日本と似ていて驚きました。

 

今は様々な手法の保育・教育で溢れています。どういう保育・教育であっても子どもは、与えられた環境の中で育ちます。究極的には、どうであっても子どもは育つのです。

子どもは、大人の要求に答えようとするものです。中国雑技団などは、そういった子どもの本質を利用しているのではないでしょうか。もちろん得手不得手はありますが、頭も身体も柔らかい小さい頃から繰り返し訓練されれば、大抵のことはできてしまいます。

保育園で初めて働き始めたとき、1歳半の女の子が自分のくつ下をくるっと丸めて畳んでいる姿に驚いたことを今でも思い出します。その子は靴も脱いだら揃え、1歳半とは思えない程しっかりしていました。家で教えられていたのでしょう。

こんな風に、ある程度のことは教えるとできてしまうのが、子どもです。

だからこそ、大切なのはその時の大人の関わり方やあり方なのです。

 

大人が“しつけ”と称して、叱って何かを身につけさせるというのは、まるでサーカスのゾウのようです。ムチで叩かれながら訓練すれば、玉乗りもでき、ご褒美にりんごがもらえる…といったことと同じ原理です。

それは、“脅し”であって、その大人本人の“恐れ”からの行動です。

もし大人が言葉で叱っていなくても、“言うことを聞かせよう”という支配のエネルギーを発していれば、同じことです。

子どもは大人に喜んでもらいたい一心で、期待に添うように、頑張ります。でも、その元は大人の“恐れ”の影響を受けているのです。

 

こうした“恐れ”は日常の中でも多くあります。

例えば、仕事への恐れ(失業・地位や収入が減る、なくなる)、人への恐れ(嫌われる・何かを言われる)、社会への恐れ(世間体・人との違い)など…今、自分は恐れていないと思っている様なことにも実は“恐れ”から行動していた、ということもあるのです。

 

今の世の中は“恐れ”が根底にあります。

戦争は“恐れ”から始まります。

私たちは、地位や権力、名誉、お金などを持っていることが、幸せや安全・安心と思っているので、失いたくないという“恐れ”に取り憑かれているのです。

今、一番大切なことは、“恐れのない世界”を創ることです。

そして、“恐れのない世界”を生み出すことは、“今、ここで”私たちひとりひとりにできることです。

 

子どもを育てるとき、自分は何に恐れ(不安)を持っているのかに気づくことが大切です。大人自身の“恐れ(不安)”は、子どもへの影響が多大です。

その自分の恐れをしっかりと受け止め、ただ“恐れ”という形のないものに反応している自分が“今”いるだけ。

ということを認識する…それが第一歩です。

そして、子どもの世界に“恐れ”を持ち込まないと決めるのです。

 

“恐れ”のない世界で子ども自身が自由に探求し、観察し、学べるということが、本当の自由な保育・教育です。

このような自由の中で育つ子どもは、恐れの上に造られた今の社会ではなく、全く新しい、愛のある社会を創造すると私は信じています。



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