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“生”を発見する

しばらくブログをお休みして、熊野古道を歩いて来ました。

平安時代からの千年の歴史を持つ古道を見守る立派な樹々。その道を歩く人々の営みを見守り続けて来たその樹を見上げると、威厳に満ち、強い穏やかなエネルギーが降り注がれているようでした。

朽ちた切株の上は、柔らかな苔で覆われ、その苔の上には新たな樹の芽生えがありました。森は静かに循環している…そんな自然の営みを感じました。

 

 

自然保護団体がよく、『草木を大切に』ということを言います。草木が大切だと思うあまりに、ナチュラリスト(自然主義者)の中には、人間の存在すら不要と考える人もいます。でも、地球環境に影響を及ぼす一番大切な鍵をにぎっているのは人間なのです。

 

子どもは、虫や動物などの動くものに興味を持つ事が多く、アリを指でつぶしてみたり、水たまりに落として泳がせてみたり、アリ地獄(ウスバカゲロウの幼虫の巣)の中に落として食べられる様子を見たり…と、大人からすると一見残酷にも見える遊びをします。

でも誰でも一度はやった事があるのではないでしょうか?

「生き物の命を大切に」という言葉を良く耳にしますが、子ども達はこうした実際に命に触れる遊びを通して、『命』を体験するのです。

 

大人の言う「生き物の命を大切に」というのは、人間に都合の悪い物以外の事を指すように思います。害虫駆除や害獣駆除などは、本来の生態系の中には必要のないことでしたが、農作物を守るため、または人間が崩した生態系を守るために行われることも多々あります。それを脇に置いて、「命を大切に」と言っているということを認識しておく必要があると思います。

 

子どもが虫や小動物をいじり過ぎて殺してしまう…ということがありますが、故意に殺そうとしているのではなく、興味や愛情から触り過ぎで死んでしまうということもあります。

大人が「生き物を大切に」と先回りしてしまうと、子どもは『命』に触れる体験がなくなってしまいます。

また、おもちゃを買い替えるかのように「死んだから、また違うものを手に入れればいい」というのは、言語道断です。

虫や小動物の“死”を大人も一緒に体験する事で、そこには『命』を考える機会が生まれるのではないでしょうか。

 

 

以前、こんな場面を見かけました。

子ども達が死んだザリガニを見つけました。死んでいるので、動いているザリガニを触れない子もちょんと突いてみたり、ひっくり返してみたりと、安心して観察していました。

それを見た保育者が、

「みんなでお墓を作ってあげたらいいんじゃないの?」

と言いながら、その保育者が土のある方へ持って行って、子どもに穴を掘らせていました。

これでは、一緒に“死”を体験したことにはなりません。

子ども達の中から、「お墓作ってあげよう!」と出たなら、また違う体験となったでしょう。

 

『真の教育とは“生”を見いだすことだ』とクリシュナムルティという、インドの賢者が言っています。

“生”を見いだすということは、全ての動植物と人間、そして生命体としての地球との関係を探求することになるのではないでしょうか。

その探求は、足もとのアリの存在から始まるかもしれません。

飼っている犬から始まるかもしれません。

自分で種を植えた、アサガオから始まるかもしれません。

このように小さな体験から、多くの発明・発見が生まれて来るのです。

そこで大切なのは、模倣する事ではなく、自ら発見すること。

親や先生の言う通りにすることは簡単です。そして、大人にとってもその方が簡単で、安全でしょう。

しかし、教育の役割とは、子どもが“生”を見いだす手助けをすることです。

 

子ども一人ひとりが自ら探求・発見するプロセスを大切にすることこそが、本当の教育です。そのなかで、“考え”“感情”“言動”を認識できる、リーダーを育むことが、現在の疲弊した地球を救って行くことに繋がるのだと信じています。


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