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“叱る”から伝わる“愛”

先日、高速道路を車で走っていた時でした。

道路脇のフェンスを上から包むように、薄紫色の藤の花がたくさん咲いていました。一瞬で通り過ぎてしまい、名残惜しさとそれを見つけた嬉しさがしばらく心に残った体験でした。

こんな風に思いがけず見つける自然の美しさは心にしみます。

昔からあの藤の色が好きで、やっぱり今でも好きだなぁと改めて実感しました。

 

 

「うちの子が幼稚園で一気に3人の友だちを叩いて泣かしてしまって、迎えに行ったとき丁度先生に叱られている時だった。先生にも反抗的な態度で、先が思いやられる。」

先日こんな話を聞きました。

具体的に何があったのかはわかりませんが、きっと叩く理由が本人なりにあったのでしょう。

言葉で上手に自分の思いを表現できないと、叩いたり、噛み付いたりして表現することがあります。そして、そのような子どもは、“感受性が強い”などとも言われています。

だから、「叩いても良い」と言う訳ではありません。

子どもをありのままに受け止めることが大切…だからと言って、何でもやりたい放題という訳にはいきません。

時には大人が毅然とした態度で、本気で叱ると言うことが大切です。

「してほしくないこと」「やってはいけないこと」を伝えるということは、子どもが“社会のルール”や“人の気持ち”を知る機会なのです。

 

時には大人が想像もしない様なことをするのが子どもです。

それが本当に危険だったり、してはいけないことだったりしたら、その時にきちんと叱って、子どもにインパクトを与える必要があるのです。

 

私は、本当にやってほしくないことに対しては、真剣に本気で伝えます。

以前、子どもがおもちゃで友だちを叩いてしまうということがありました。叩かれた相手のおでこはぷっくりたんこぶになってしまいました。

このような時は、ただシンプルに、しっかりと目を見て、

「おもちゃで叩いたらダメ!」

と力強く伝えます。

でもその言葉には、『あなたはダメな子』という意味もエネルギーも乗っていません。子どもの存在そのものを否定する様なエネルギーは乗せないのです。

すると子どもには、やったことに対しての『ダメ』は伝わり、『自分が否定された』とは伝わりません。

その言われたことを納得し、その後叱られたことを引きずりません。

このようにきちんと区別して(子どものやったことと親の感情)叱ると、子どもとの信頼関係がしっかりとできるのです。

 

ここで大切なのは、その叱責が大人のどういうあり方から来るのか、なのです。

「罪を憎んで人を憎まず」ということわざのように、子どもを憎んだり、『この子はダメだ』とする必要はないのです。

感情的に、『この子はダメだ』というあり方での叱り方は、“叱る”ではなく“怒る”です。

感情的になると、その“怒り”がなかなか治まらず、延々と怒っている…ということになりがちです。それは、子どもにわからせる為という言い訳のもと、自分の感情を発散しているだけなのです。

感情のままに怒るということが、子どもに一番ダメージを与えます。

大切なのは、大人が自分の怒りの感情と出来事を区別して、叱ることです。

この区別したあり方によって、子どもの心に何を残すかが大きく変わります。

 

シンプルが一番です。

ただ「いけないことはいけない!」と毅然とした態度で伝えるだけ。

その「いけない!」という言葉の中に子どもへの“愛”が含まれているならば、叱っている中でもその“愛”のエネルギーは子どもに伝わるのです。


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