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ありのままで・・

以前、仕事が忙しく疲れ気味だった時、ふとひとりで山へ行こうと、近くの山に登りに行きました。それほどきつい山道ではなかったので、景色を楽もうと歩いていましたが、頭の中に出て来るのは仕事のこと…。山にまで仕事を持って来ているようで嫌だな…と考えていた、そんな時でした。

急に道がぱっと開け、少し先の方に白い花とその上にフワフワと何かがたくさん飛んでいるのが見えました。そっと近づくと、たくさんの蝶でした。うすい水色の羽が光に透け、ヒラヒラ、フワフワと静かに飛んでいて、まるで妖精が花と戯れているかのような幻想的な光景でした。

その光景に、自然と涙が流れました。自然の中で心が癒され、クリアなエネルギーに触れた体験でした。

今でも、あの妖精のような蝶の姿を想うだけで、フッと肩の力が抜けます。

実は私は昔から蝶が苦手でした。小さな頃に蝶を捕まえ、母に見せに行ったら「うわっ、それ蛾だよ」と言われ、慌てて放したその手には、蛾の鱗粉がついていたのです。それから、“蝶も蛾も同じ、鱗粉がつくのが嫌”という理由から、蝶も蛾も苦手になりました。

でも何年か前、オーストラリアに行った時に、3才くらいの女の子が、大きな蛾を手に乗せて「かわいいでしょ。私のペットなの」と言って見せてくれました。私のその時の反応はもちろん「げっ!それ蛾だよ」です。でもその子にとっては「モコモコしてかわいい」のだそうです。

私にとっての“蛾”は“鱗粉がついて気持ち悪い”というフィルターを通していたので、それまでは“蛾”をよく見ていなかったのです。

よく見ると…その女の子の蛾は、薄茶のモコモコの毛に包まれて、つぶらな目がちょんとついていて、確かにかわいいかもしれない…と思いました。

最近よく「ありのままに…」という言葉を聞きますが、私たちは本当にありのままを見ているのでしょうか。

自分の頭の中の解釈や考えやその時の感情などを通して、目の前の物や事を見ていることが多いかと思います。

子育てをする上でも、「ありのままに見る」ということが大切です。

ひとりひとりがどのように成長・発達しているのか、どんな心の状態なのか、何を考えているのか、どんな風に感じているのか…。

その子の“ありのまま”が見えているということは、その子が次のステップへ成長するきっかけを作ることができ、その子の感じている事をそっと知る事もできます。

“ありのまま”を見ず、大人が「この子は大人しい子だから、嫌なんじゃないか」とか「この子はじっとしてないから、これは無理」とか大人がすでに持っているフィルター越しに判断してしまうことは、その子どもの持っている可能性の芽を摘んでしまうことにもなるのです。

保育士や親のように、子どもとの関係が近かったり、毎日見ていたりすると、ついつい「この子は〇〇」という、昨日までのその子の姿がフィルターとなり、今のこの子の“ありのまま”は、見えていないのかもしれません。

そのフィルターを外す為には、その子どもを見ている瞬間の自分をキャッチする必要があります。

「自分はこの子を落ち着きがない子として見ているなぁ」

「自分はこの子を無気力な子だと思っているんだなぁ」

ともうひとりの自分が今の自分を見るように、客観的に見てみる必要があります。

そして、「自分はこう思っている」ということを認識した上で、「そうじゃないかもしれない」というように、「なにか新しいものが見つかるかもしれない」「本当にはどんな子なんだろう」と興味の目で観察すると、子どもの小さな行動や目線などから心の動きが見えて来たり、成長が発見できたりするのです。

そのフィルターを外して、子どもの今の“ありのまま”を見ようとするその時、本当の意味で「子どもと一緒にいる」瞬間なのです。

頭の中の考えていることではなく、子どもを感じているという状態です。

「子どもと一緒にいる」という“今”を楽しみ、感じていると、子どもの“ありのまま”が見え、自分も“ありのまま”でいる心地良さに気づくでしょう。

人間ひとりひとりが“ありのまま”でいられる世界は、心地の良い世界なのではないでしょうか。そしてその世界は、一瞬一瞬・ひとりひとりのあり方から創られるのかもしれません。

 

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