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2015年4月

誰として育てるか?

ユニバーサルエンターテイメントという視覚・聴覚障がいを持つ方でも楽しめる舞台のお手伝いに行って来ました。そこで、聴覚障がい者と一緒に準備をしたり、作業をしたりという、私にとって初めての体験でしたが、言葉の壁をほとんど感じませんでした。仲間として一緒に作業し、何かを達成するという中には、通じ合う言葉以外の繋がりがありました。わからないながらも、やりとりを楽しんでいるといった感覚でした。“手話は言語”なのですね。聞こえないから“障害”という訳ではなく、その言語をお互いに共有できれば壁がなくなります。その言語を知らないことこそが“障害”と感じました。

今までは言葉を伝える為の手話だと思っていましたが、手話で盛り上がっている人たちを見た時に、単なる必要なコミュニケーション以上の自己表現の豊かさを感じました。

聴覚障がいがあっても、自由に楽しそうにコミュニケーションを取っている世界を知ることができた、嬉しい体験でした。

 

 

その舞台の手伝いで、こんなことがありました。

キッズスペースに、親が障がいを持っている子ども達が来ていました。その遊びに来た子ども達には聴覚障がいはありませんでしたが、〜4歳でも手話でコミュニケーションを取り、言語と一緒に手話も習得している様子で、子どもの能力の高さを感じました。

ひとりの女の子の親が、「この子はまだ小さいから舞台は無理なので…」とキッズスペースに預けていきました。でもその子は、舞台を観に行きたがったので、一緒に観に行きました。すると、集中して観ていて、手話を使った歌の場面では、一緒になって手話をしながら歌っていました。結局ほとんど全部観てしまいました。親が来た時にその様子を伝えると、驚いていました。

 

親は子どもには“まだ早いだろう”とか“わからないだろう”という解釈のもとで接することが、日常の生活の中でも多いのではないでしょうか。

私には手話の方が難しくて、親にとっては舞台を観るということの方が難しいと双方思い込んでいました。

 

子どもは大人の接し方・あり方でいくらでも変わるのです。

お母さんの前では甘えん坊、でも幼稚園ではしっかり者…というような例も良く聞きます。

お母さんの前で見せる姿と先生の前で見せる姿が違うのです。

これは、子どもがわざと変えている訳ではなく、自然とそうなるのです。

その違いは、大人がその子を「どんな子として見ているか?」ということなのです。

 

ダライラマは子どもの頃から、ダライラマとして育てられました。そうは言っても、子どもの頃は子どもらしさもあったそうです。いけないことはいけないと教えられたでしょう。でも、周囲の人がすでに“ダライラマだ”として信じて接して来たからこそ、子どもの頃からダライラマという威厳が備わったとも言えるのではないでしょうか。

 

目の前の子どもを「“誰”(どういう存在)として育てるか?」という、大人の立つ土台を創ることが大切なのです。

「この子はできない子」として育てれば、「できない子」になるのは当然です。

「優しい子に育ってほしい」ということをよく聞きますが、「優しい子」として今存在させることで、すでに「優しい子」に育っているのです。

大人がその土台にしっかりと立っていると、目の前に現れる子どもの姿はその土台に基づいた姿で現れます。

土台を創ることは、大人のあり方と通じます。そのあり方(Be)で、子どもへの見方(行動:Do)が変わります。そして子どもの育ち(結果:Have)が変わるのです。

いつでも、あり方が基本なのです。子どもがどう育つかという結果(Have)ばかりにとらわれることなく、子どもの可能性を見る目を持つことが大切です。

その可能性を見る目を持つ大人であるというあり方によって、子どもがどう育つか?が決まるのです。


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“叱る”から伝わる“愛”

先日、高速道路を車で走っていた時でした。

道路脇のフェンスを上から包むように、薄紫色の藤の花がたくさん咲いていました。一瞬で通り過ぎてしまい、名残惜しさとそれを見つけた嬉しさがしばらく心に残った体験でした。

こんな風に思いがけず見つける自然の美しさは心にしみます。

昔からあの藤の色が好きで、やっぱり今でも好きだなぁと改めて実感しました。

 

 

「うちの子が幼稚園で一気に3人の友だちを叩いて泣かしてしまって、迎えに行ったとき丁度先生に叱られている時だった。先生にも反抗的な態度で、先が思いやられる。」

先日こんな話を聞きました。

具体的に何があったのかはわかりませんが、きっと叩く理由が本人なりにあったのでしょう。

言葉で上手に自分の思いを表現できないと、叩いたり、噛み付いたりして表現することがあります。そして、そのような子どもは、“感受性が強い”などとも言われています。

だから、「叩いても良い」と言う訳ではありません。

子どもをありのままに受け止めることが大切…だからと言って、何でもやりたい放題という訳にはいきません。

時には大人が毅然とした態度で、本気で叱ると言うことが大切です。

「してほしくないこと」「やってはいけないこと」を伝えるということは、子どもが“社会のルール”や“人の気持ち”を知る機会なのです。

 

時には大人が想像もしない様なことをするのが子どもです。

それが本当に危険だったり、してはいけないことだったりしたら、その時にきちんと叱って、子どもにインパクトを与える必要があるのです。

 

私は、本当にやってほしくないことに対しては、真剣に本気で伝えます。

以前、子どもがおもちゃで友だちを叩いてしまうということがありました。叩かれた相手のおでこはぷっくりたんこぶになってしまいました。

このような時は、ただシンプルに、しっかりと目を見て、

「おもちゃで叩いたらダメ!」

と力強く伝えます。

でもその言葉には、『あなたはダメな子』という意味もエネルギーも乗っていません。子どもの存在そのものを否定する様なエネルギーは乗せないのです。

すると子どもには、やったことに対しての『ダメ』は伝わり、『自分が否定された』とは伝わりません。

その言われたことを納得し、その後叱られたことを引きずりません。

このようにきちんと区別して(子どものやったことと親の感情)叱ると、子どもとの信頼関係がしっかりとできるのです。

 

ここで大切なのは、その叱責が大人のどういうあり方から来るのか、なのです。

「罪を憎んで人を憎まず」ということわざのように、子どもを憎んだり、『この子はダメだ』とする必要はないのです。

感情的に、『この子はダメだ』というあり方での叱り方は、“叱る”ではなく“怒る”です。

感情的になると、その“怒り”がなかなか治まらず、延々と怒っている…ということになりがちです。それは、子どもにわからせる為という言い訳のもと、自分の感情を発散しているだけなのです。

感情のままに怒るということが、子どもに一番ダメージを与えます。

大切なのは、大人が自分の怒りの感情と出来事を区別して、叱ることです。

この区別したあり方によって、子どもの心に何を残すかが大きく変わります。

 

シンプルが一番です。

ただ「いけないことはいけない!」と毅然とした態度で伝えるだけ。

その「いけない!」という言葉の中に子どもへの“愛”が含まれているならば、叱っている中でもその“愛”のエネルギーは子どもに伝わるのです。


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ありのままで・・

以前、仕事が忙しく疲れ気味だった時、ふとひとりで山へ行こうと、近くの山に登りに行きました。それほどきつい山道ではなかったので、景色を楽もうと歩いていましたが、頭の中に出て来るのは仕事のこと…。山にまで仕事を持って来ているようで嫌だな…と考えていた、そんな時でした。

急に道がぱっと開け、少し先の方に白い花とその上にフワフワと何かがたくさん飛んでいるのが見えました。そっと近づくと、たくさんの蝶でした。うすい水色の羽が光に透け、ヒラヒラ、フワフワと静かに飛んでいて、まるで妖精が花と戯れているかのような幻想的な光景でした。

その光景に、自然と涙が流れました。自然の中で心が癒され、クリアなエネルギーに触れた体験でした。

今でも、あの妖精のような蝶の姿を想うだけで、フッと肩の力が抜けます。

実は私は昔から蝶が苦手でした。小さな頃に蝶を捕まえ、母に見せに行ったら「うわっ、それ蛾だよ」と言われ、慌てて放したその手には、蛾の鱗粉がついていたのです。それから、“蝶も蛾も同じ、鱗粉がつくのが嫌”という理由から、蝶も蛾も苦手になりました。

でも何年か前、オーストラリアに行った時に、3才くらいの女の子が、大きな蛾を手に乗せて「かわいいでしょ。私のペットなの」と言って見せてくれました。私のその時の反応はもちろん「げっ!それ蛾だよ」です。でもその子にとっては「モコモコしてかわいい」のだそうです。

私にとっての“蛾”は“鱗粉がついて気持ち悪い”というフィルターを通していたので、それまでは“蛾”をよく見ていなかったのです。

よく見ると…その女の子の蛾は、薄茶のモコモコの毛に包まれて、つぶらな目がちょんとついていて、確かにかわいいかもしれない…と思いました。

最近よく「ありのままに…」という言葉を聞きますが、私たちは本当にありのままを見ているのでしょうか。

自分の頭の中の解釈や考えやその時の感情などを通して、目の前の物や事を見ていることが多いかと思います。

子育てをする上でも、「ありのままに見る」ということが大切です。

ひとりひとりがどのように成長・発達しているのか、どんな心の状態なのか、何を考えているのか、どんな風に感じているのか…。

その子の“ありのまま”が見えているということは、その子が次のステップへ成長するきっかけを作ることができ、その子の感じている事をそっと知る事もできます。

“ありのまま”を見ず、大人が「この子は大人しい子だから、嫌なんじゃないか」とか「この子はじっとしてないから、これは無理」とか大人がすでに持っているフィルター越しに判断してしまうことは、その子どもの持っている可能性の芽を摘んでしまうことにもなるのです。

保育士や親のように、子どもとの関係が近かったり、毎日見ていたりすると、ついつい「この子は〇〇」という、昨日までのその子の姿がフィルターとなり、今のこの子の“ありのまま”は、見えていないのかもしれません。

そのフィルターを外す為には、その子どもを見ている瞬間の自分をキャッチする必要があります。

「自分はこの子を落ち着きがない子として見ているなぁ」

「自分はこの子を無気力な子だと思っているんだなぁ」

ともうひとりの自分が今の自分を見るように、客観的に見てみる必要があります。

そして、「自分はこう思っている」ということを認識した上で、「そうじゃないかもしれない」というように、「なにか新しいものが見つかるかもしれない」「本当にはどんな子なんだろう」と興味の目で観察すると、子どもの小さな行動や目線などから心の動きが見えて来たり、成長が発見できたりするのです。

そのフィルターを外して、子どもの今の“ありのまま”を見ようとするその時、本当の意味で「子どもと一緒にいる」瞬間なのです。

頭の中の考えていることではなく、子どもを感じているという状態です。

「子どもと一緒にいる」という“今”を楽しみ、感じていると、子どもの“ありのまま”が見え、自分も“ありのまま”でいる心地良さに気づくでしょう。

人間ひとりひとりが“ありのまま”でいられる世界は、心地の良い世界なのではないでしょうか。そしてその世界は、一瞬一瞬・ひとりひとりのあり方から創られるのかもしれません。

 

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信頼と肯定的な世界

家の近くに、立派なハルサザンカの木があります。

この木は毎年、ぱっと開いた大きなピンク色の花をたくさん咲かせています。ハルサザンカはハラハラと花びらを散らす花ではないので、ピンクの花がボトボトとそのまま下にたくさん落ちています。

ある日、木に咲いていた花も落ちていた花もひとつ残らず、きれいに片付けられていました。もう終わりかと残念に思って近づくと、まだ大きなつぼみをたくさんつけていました。そして数日後それらのつぼみが、大きく開きピンクの花がたくさん咲いていました。

良く手入れをされているこのハルサザンカの木は、こうして何度も花を咲かせて、楽しませてくれているんだなと思いました。

保育現場で多くの子どもを見ていると、その家庭環境や親のあり方によって、子どもの育ち方が大きく違うことをしみじみ感じます。

伸び伸びしている子。

大きな声、大きな仕草で注目を集める子。

大人しいけれど、周りの様子をよく見ている子。

などなど・・十人十色です。

今は多様性の時代と言われていますが、子どもの育ちにもその多様性を生かした関わりが大切なのだと感じています。

以前、本当に心も体も伸び伸びと育っている、“子どもらしい子ども”という感じの子がいました。

楽しいときは大きな声で笑い、嫌なことがあったときは大声で怒り、泣き、身体的にも活発で走り回ったり、ジャンプしたり、子犬のようにコロコロと動き回っている様な子で、良く食べ、良く寝て、良く遊ぶ…そんな子どもの見本のような子でした。

そして健康でほとんど病気をしない、共働きの親にとってはありがたい子でした。

同じように過ごしていても、しょっちゅう風邪をひく子とひかない子、何が違うのかと思っていた時、かかりつけの歯科医の話で納得したことがありました。それは、歯並びです。噛み合わせが良いと、鼻呼吸が楽になり、風邪をひきにくくなるということでした。普通は、食べる時だけ上の歯と下の歯が噛み合わさり、それ以外は上の歯と下の歯は離れている状態なのだそうですが、最近、普段からいつも噛み締めている人が多いことが明らかにされ、注目されつつあるそうです。その噛み締めが虫歯の原因だということなのです。必死に歯磨きをしようと、毎晩子どもとバトルのお母さんにとっては朗報ですね。

そして、噛み合わせは、遺伝もありますが、姿勢によって変わるようです。猫背だったり、首だけ前に出ていたり…することで、歯の噛み締めが起こるということでした。要は、全身の骨格とも関係して来るのです。

歯科的な観点での対応もあるようですが、私はこのことが子どもの成長そのものと関係があると思いました。

噛み締めている瞬間ってどんな時でしょうか?

ギュッと手に力を入れている時、緊張している時、頑張っている時…など、心にも体にも力が入っている時です。

普段から歯を食いしばっている人は多いのではないでしょうか。

“がんばり屋さん”ほど、歯を食いしばっている事が多いのではないかと思います。

いつもいつも頑張っている人は、もしかしたら、歯を食いしばっていない時の方が少ないのではないでしょうか?

さっきの伸び伸びした子は、言われてみると歯並びがとってもいいのです。そして、鼻呼吸です。鼻水はいつも出ていますが、鼻呼吸なので気になって自分で鼻を拭くようにもなります。

少し前の新聞記事に「鼻をかめるようになる練習法」が出ていましたが、鼻呼吸をしている子は、自然に鼻をかめるようになるのです。

そして、人間が本来の持っている機能をきちんと使えていれば、滅多に風邪もひかず、健康でいられます。健康でいることは、エネルギーのロスも少なく、精神的にも安定して過ごせるのです。だから“伸び伸びした子”に育ちます。

その子の親はどういう風かというと、初めての子どもで今までに子どもと接する機会もなく、知識もあまりない…けど、「子どもって面白いねぇ」と楽しんでいるのです。子どもがいたずらをしても、「あぁ、そっかそっか、こんな風にするんだね」という具合に、いたずらをしていることすら面白がっているという様子です。

『子どもが育つように育てている』というあり方なのです。

何かを子どもに頑張らせたり、無理に何かをやらせたりという事ではなく、子どもが感じる事を受け止め、子どものやりたい事を聞き、そして親自身もきちんと「今何をしようとしているのか」を伝え、子どもにも受け入れてもらいながら、子どもを受け入れているといった関係なのです。

こうした子育てだと、大人も子どもも歯を食いしばることもなく、無理な力をかけることもなく、自然な成長があるのでしょう。

大人の関わり方と、子どもの心と体の成長は相関するのです。

『子どもが育つように育てる』という根底には、元々子どもにある育つ力を『信じている』という“信頼”があります。

その“信頼”が土台にあるからこそ、子どもは安心して、伸び伸びと自分を表現します。

“信頼”が土台であるということが、“肯定的”な世界です。

どんないたずらした子どもも“肯定的”に受け入れるということなのです。

NO」と言う場面ももちろん必要です。その言葉も、“信頼”と“肯定”の世界で伝えれば、子どもには自分の存在を否定された「NO」には聞こえないのです。

「いつも信じられている」「自分の存在が認められている」という安心感は、子どもを自由にさせます。

大人の顔色を見ながら何かを判断するのではなく、自分の感情や考えを信じることができます。

子どもが伸び伸びと育つということは、“信頼”と“肯定的”な世界が土台なのではないでしょうか。

 

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子どもを通しての体験

木々の芽が日に日に大きくなるこの季節。

冬の間何もついていなかった街路樹の枝にも、小さな黄みどり色の葉が顔を出しています。その葉をよく見てみると、小さいながらもひとつひとつがイチョウの葉の形をしています。

生まれたときから「ぼくはイチョウだよ」と言っている様で、愛おしく感じます。

以前こんな相談を受けました。

「子どもとどう接したらいいかわからない。遊んであげなくちゃと思うけど、向き合うのが怖いんです。」

初めての子どもだと、子育ても初めて。

戸惑ったり、不安になったりすることもあるでしょう。

保育士にも稀に同じ様な悩みを持つ人がいます。

なぜ怖くなってしまうのでしょう?

子育ては頭で考えてできるものではありません。

本を読んだり、勉強をしたり、人から聞いた概念で子どもと関わろうとすると、このように「どう接したらいいんだろう」とやり方で考えてしまいがちです。

「〇〇をすれば△△になる」と思ってやるけど、実際には上手く行かない…というように、頭の中で考えていることと、子どもの反応とは違うことがほとんどだと思います。そのことに戸惑い、“怖い”や“不安”という表現になるのでしょう。

こんなケースもありました。

面談をした時に、「あの子は私のこと嫌ってるからわざと嫌がらせをする…」とお母さんが言ったのです。

その子は、活発で自分の感情をそのまま表現する、私から見ると“子どもらしい子ども”でした。そして、お母さんのことが大好きで、振り向いてほしいからわざといたずらをしたり、だだをこねたりしていたのです。

「“嫌ってるからわざと嫌がらせをする”なんていうことは、子どもの中には元々ありません。」ということを伝えてもこのお母さんには響きませんでした。

でも、子どもが愛情を確かめる為に、わざとお母さんの気に障ることをするケースもあります。

このお母さんの生育歴を聞くと、お母さん自身が自分の母親とうまくいっていなかったのです。

こうしたケースは実はとても多くあります。

愛された経験がある人は、子育ても自然とできます。

ふわっと抱かれる温もり

おでこの髪をさらりとなでる手の感触

背中をさすられ安心して眠りに落ちる幸福感

その愛を感じて育った人は、それをそのまま自分の子どもにも表現し、その心地良さを共有することができます。

愛された経験が少ない人は、子どもへの愛をどう表現したらよいかわからないのではないでしょうか。

そして、「愛する」「愛されている」といった感覚がわからないのではないのでしょうか。

子どもは自分の親のことを無条件に愛しています。

子どもは親の笑顔を見たいのです。

「どうしても自分の子を愛せない」という人は、子どもを通して“愛”を体験する時なのだと思います。

子どもからの“無条件の愛”をもらいながら、「ああかな」「こうかな」と少しずつ“愛する”ということを体験するのです。

そうして行くうちに、“愛する”“愛される”という心地良さに触れることでしょう。

もしかしたら自分が親からもらっていた愛に気づくこともあるかもしれません。

その感覚を得るには、頭で考えて、様々な育児法を試していては得られません。頭で思考していることではなく、目の前の子どもと一緒にいて、子どものそのままを感じることが大切です。

そうすれば、いつでも子どもからの愛情を感じることができるのです。

「愛」はすでにそこにあります。「愛」を得る為に何かをする必要はないのです。


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大人の都合

先日書いたブログ『感情を表現する』に関しての感想を頂いた中で、数名の方から「大人の都合…」という言葉が出ました。

『子どもにとって何が最善か?というと“子どもが自由であること”が良い事で、“大人の都合を優先すること”は良くない。』

そんな雰囲気があるように感じます。子どもとより良い関わりをしたい人が増えているということかもしれません。

“大人の都合を優先すること”は本当に良くないのでしょうか?

“良くない”とすると、何でも子ども中心に生活をしなければならなくなり、“言いなり”や“放任”になってしまいがちです。現実にはいつも子ども中心の生活をするには無理があるでしょう。

だからと言って、“大人の都合で良いんだ”となると、またちょっと違いますね。ともすれば、“大人のペース”を子どもに強いる様なことになってきます。

“大人の都合を優先すること”を“良い”とか“悪い”とかで判断しようとすると、「では、どっちがいいの?」と極端な答えを探すようになるでしょう。

この“良いか悪いか”の答え探しが、人を迷わせているのではないか・・と思います。

アインシュタインが証明したように、地球は相対的な惑星ですから、全てが相対的なのです。

暗さがあるから、明るさを知るし、その逆も言えます。

長いということを知っているから、短いということがわかる…というように、いつも私たちは相対的に物事を判断しています。

物事はいつも表裏一体です。私たちの評価・判断には“良い”があれば、その裏には“悪い”があります。そして、“絶対的な良い”や“絶対的な悪い”がある訳ではありません。

以前こんな場面に遭遇しました。

駅前の広場に、大きな岩を積み上げたデザインの壁がありました。大人の私でも『あそこでクライミングしたら面白そうだな』と思うような壁でした。

そのうちに、一人の真っ黒に日焼けした男の子が楽しそうに登り始めました。それを見た、他の子どもたちも次々に登り始めました。3~4人の子どもたちがその壁を猿のように登る姿を見た母親たちが必死で止めていました。

「そこは登っちゃダメなのよ!」というと、子どもは「なんで?」親は「なんでも!いいから降りて来なさい!」「え~」という具合に、結局子どもは渋々降りて来ましたが、納得がいかない様子でした。

社会のルールは、公共の広場の壁に子どもが登るのはいけないことです。でも、子どもにとっては、どこかの公園の岩登りも駅前の壁登りも同じ感覚なのです。それを“良い”とするか“悪い”とするかは、“大人の都合”になります。

そして、「なぜ?」と聞かれて、「なんでも」とか「おまわりさんにおこられるよ」などと適当に答えると子どもは矛盾を感じます。

そこで子どもが見ているのは、大人のあり方なのです。

大人自身が「他の人が見ているから」「みんなそうしているから」などという曖昧な理由でいると、子どもはわかります。だからこそ、大人には“自分なりの判断”や“価値観”が問われるのです。

「大人の都合で子どもを振り回したくないけど、大人の都合になってしまう」という時には、きちんと伝えることが大切なのです。

「それはしないんだよ」「これはこうしてね」など、こちらがどう考えているのかを伝えるのです。その上で「なぜ?」と聞かれた時に「ママはこう思うからよ」とか「今はそうしてほしいの」などと、丁寧に答え、社会のルールなどの「なぜ?」に答えられないときは「どうしてだろうね?あなたはどう思う?」と一緒に考えても良いかもしれません。

“大人の都合”を良い・悪いで判断するのではなく、その時「自分がどうしたいのか?」を大人もきちんと認識して、子どもに伝えることが大切なのです。

 “良いか”“悪いか”という判断からではなく、「どちらでもOK!」という風になると、“自由”な感覚がでてきます。

「人はどうか?」よりも「私はどうかな?」と自分に問うことが大切です。

そして、自分の価値観をすこしずつ認識し、「自分はこういう子育てをしている」というぶれない軸ができて、様々な場面で判断がしやすくなるでしょう。

それは、「何を選び、どう生きるか?」という“人生の軸”にも繋がるのです。

子育て・保育・教育は、“人生の軸”を創る、大人の成長の機会なのだと思います。


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感情を表現する

フェイスブックに『4月に入って、幼稚園が新しいクラスに変わってから子どもの夜泣きがひどい。子どもなりに新しい環境で昼間頑張っているからだろう。でも親も寝不足で参っている』と言う記事がありました。

きっと子どもも神経が高ぶって、眠いのに泣き止めない、親は泣き止まそうと思ってもどうしたら良いのかわからず、その泣き叫ぶ声に途方にくれているのでしょう。

4月の保育園・幼稚園でも、あちらこちらで泣き声が響き、子どもの対応に慣れている保育者でも気が滅入ることがあります。

夜泣きに悩まされている親御さんは多いのではないでしょうか。

夜泣きだけではなく、電車の中やレストランの中、家で子どもと2人きりの時などに、泣かれるとどうして良いかわからずに、スマートフォンで子どもが好きなアニメなどを見せておく・・ということも増えているようです。

泣いている原因がわかれば、それをなんとかすれば良いのですが、夜泣きのような原因がわからない場合が問題です。

「どうして泣いてるの?」「もう泣き止みなさい。」「泣くなら家に入れない。」

と、大人もどんどんその泣き声にイライラしてきて、怒り始める・・ということもあると思います。

子どもが泣いているとき、何か特別な理由が見当たらなければ、それは『ただ泣いている』だけなのです。

子どもの内に蓄積された負エネルギーを泣くことで放出している・・ということもあります。十分に泣き足りると、ケロッとして笑い始めたり、コテッと寝てしまったりします。昔から「泣いたカラスがもう笑った」と、子どものその様子を表す言葉もあるくらいです。

子どもは、感覚的です。

大人のように「〇〇に言われたことが悲しくて涙が出て来た」とか「△△がうまくいかなくて悔しくて泣いてるの」などという頭で考えた理由はないのです。

理由がわかると安心するのは、大人です。

それで「それは〇〇だから△△なのよ。わかった?だから泣き止もうね」と、子どもを説得にかかることが多いのではないでしょうか?

子どもが泣いているときは、「泣いてもいいよ」と泣かせておいても大丈夫。

「泣き止まないとだっこしないよ」とか「男の子がメソメソ泣かないの」などと言うことがありますが、それは“泣くことが良くない”という表現なので、子どもは “泣く”という衝動(感情)を無理に自分の中に押し込んでしまいます。

そして、その押し込んだエネルギーは、次のきっかけで爆発したり、奇声を発するという違う行動でそのエネルギーを出そうとしたりします。

“泣く”“笑う”“怒る”というような情動・感情を、十分に味わうことが大切です。十分に味わうことで情緒や情操という柔らかな心の状態を体験することができます。

大人も“悲しみ”“怒り”“不安”などの感情を押し殺さないことが大切です。

そうした感情は見ないように、触れないように、無表情にしている人を見かける事がありますが、もしかしたら過去の体験で「怒りを感じてはいけないんだ」「泣くことは良くないことだ」と、自分に言い聞かせているのかも知れません。

私も、子どもに大きな声で泣かれると“嫌だ”“静かにさせなければ”という嫌悪感のようなものが出て来る時がありました。

このような時は「あぁ、今子どもの声に反応して、イライラしているなぁ」と自分を客観的に観察し、その状態の自分を認めることが大切です。

“この子が泣くからイライラする”と思っている時が、一番上手く行かないものです。そして“イライラしている自分はいけない”と思うと、もっとイライラするか、落ち込みます。

だからと言ってすぐにイライラが消える訳ではありません。

そして、「イライラしている」という自分もそのままに、大きな声で泣く子もそのままにしていると、不思議とそのうち落ち着ついてきます。

何とかしなければいけないとしている時は、その状態が続くものです。

何もせず、そのままにすることの方が早いかもしれません。

本当に何もしない・・のではなく、その感情に“良い”とか“悪い”とかの意味をつけないという“あり方”のことなのです。どっしりと自分のことも子どものことも受け入れているという状態です。

ある時、子どもが泣いたときの嫌悪感がどこから来るのか気づいた事がありました。それは、子どもの頃母親によく「妹を泣かせるな」と言われていた事が関係していました。この言葉から「静かにしなくては、また怒られる」という風に思い込んでいたことがわかりました。

その事に気づいてからは、『大きな声で泣く』という場面でイライラや嫌悪感が出て来たら、それは過去からの体験で反応しているだけなのだと認識し、今ではほとんど出て来なくなりました。

このように、過去の体験から、今の出来事に反応しているだけという事もあるのです。

“悲しみ”“怒り”“不安”などの感情は、大人も子どもも人間ですから出て来るものです。それらの感情を味わうということが時には必要です。

テレビドラマや映画を観て、泣いてスッキリ…ということがあると思いますが、それは自分を重ねることによって、それらの感情を味わう機会になっているのだそうです。

子ども頃から、感情が出て来たその時に“泣く”“怒る”“笑う”を味わい、表現することが、健やかな育ちとなるのではないでしょうか。

“泣く”“怒る”“笑う”の感情を表現できる世界…それは、大人も子どもも心地良い世界なのだと思います。

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感じるということ

先日、小さなつぼみがいくつかついた花の苗を買いました。

それはすぐに3つの可愛らしい花を咲かせました。

その花の先から、新しいツルが出ている事に気づきました。

その時、花が咲く事も嬉しいけれど、新しいツルが出て、どんどん伸びることにわくわくしている自分を発見しました。

子どもの成長を喜ぶ感覚とそれが似ていると思った出来事でした。

子どもたちと散歩へ出かけると、その豊かな感性に感動することがあります。

子どもは五感を全開にし、本当に様々なものを肌で感じています。

触れてみて、ツルツル、ザラザラ、ヌルヌルなどの感覚を体験します。

冬の寒い日だからこそ、陽の光の温かさに気づきます。

風に運ばれてきた花の匂いに気づきます。

樹の上の鳥の声に驚きます。

きっとこんな体験は誰でもあるでしょう。

「豊かな感性を育む」という言葉をよく聞きますが、“感性”とは元々人間に備わっているものだと思います。

“外を歩いていても頭の中は考える事でいっぱい。”

“立ち止まって自然を見る為には、花見に行ったり、山登りに行かなければ。”

・・と考える、大人こそ「感性を育む」必要があるのかもしれません。

大人は頭の中の考え(思考)に捉われがちです。

ですから、「子どもの感性を育むためには、この教材を使って、興味を持たせるところから入って、最終的には山登りに行かせて、大自然に触れさせなければ…」などなど、頭で考えます。

でも、実際に山登りに行ったとしても、子どもの興味は今日のお弁当の中身…というようなオチも多いのではないでしょうか。

子どもの「感性を育む」ために、何かをする必要はないのかもしれません。

ただ子どもと同じく、大人も自然を感じる機会を持つことが大切なのです。

大人も子どもと同じような感性を持つにはどうしたら良いのでしょうか?

植物や動物が好きでなければ、観察する楽しさや喜びをあまり味わえないかもしれません。

植物や動物が好きでも、「これは〇〇って言ってね・・」と知識を試す事が好きで、概念を並べているだけで、本当の姿は見えていないかもしれません。

一度でも、自然の中で「本当にきれいな景色だなぁ」とか「自然の空気がおいしいなぁ」などの体験をしたことがある人は、目をつぶるとその時の自分の状態が浮び、その感覚を再体験できるでしょうか?

大切なのは、『頭の中で考えている思考から抜け出す』という事なのです。

子どもは頭の中の“概念”(思考)に捉われていません。

感覚的にそのままの情報が子どもの中へと入って行きます。

幼少期にたくさんの感覚的な体験をすることで、その体験がのちに知識や知恵に変わるのです。

感覚的な体験をするということは、心がオープンだということです。

あるインドのグルの本にこんなエピソードがありました。

学校の教師が、教えを請いにきた。

「自分には感じる心がない。考えばかりが重要になってしまい、学校でも声を荒げる事が増えてきている。どうしたら感じる心を取り戻せるか?」

そこでそのグルは、

「窓の外のブーゲンビリアの花を見なさい。花びらの上の光、その透き通った色と形など、君の目はそのままを見ているか」

・・・と。しばらく学校の教師が頭の中で考えて悩む様子が描かれ、そして最後にグルは、

「何もすることはない。ただ心を開いて静かに耳を傾け、あの花の美しさを見つめたまえ。」

その一言で終わります。

大人が子どもにできることは、

本当に、“ただ心を開いて静かに耳を傾け、子どもの美しさ、愛らしさ、豊かさを見つめるだけ”なのではないでしょうか。

 

 

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言葉のエネルギー

「楽しくて気づいたらこんな時間!」ということがありませんか。

私は、友だちと話している時、絵を描いている時…仕事に没頭している時や文章を書いている時なども。

その時の自分を良く観てみると、『楽しんでいる』という自分がいます。

子どもが夢中で遊んでいる時ってきっとこんな感じなんだろうと思います。

アインシュタインが証明したように、この世界は全てエネルギーでできています。

目の前にあるコーヒーカップも机も、静止しているように見えるけれど、それもエネルギーで分子の世界でいうと常に動いている・・波動で物質ができていると、科学の世界では当たり前の話です。

最近では、心(思考と感情)もエネルギーであるということが証明されたとか・・

冒頭に書いた「楽しんでいる」という状態は、時間も体の疲れも感じずに集中した状態です。その状態ではエネルギーがスムーズに循環しているので、疲れないということが言えるのです。

このように、物質も思考も感情もそして状況・状態なども全てエネルギーが関係しています。

先日、友人がこんな話をしてくれました。

「ママ友で自分の子どものことをいつも『ぶさいく、ぶさいく』っていう人がいるの。それで『ひどい母親だ』『子どもがかわいそう』って周りの人たちが大騒ぎしているの。」

みなさんはこの話を聞いてどう思いますか?

私は実際に『ぶさいく』と子どもに言っているママに会ったこともないので、本当にひどいのかどうかはわからないと思いました。

『ぶさいく』という言葉の意味だけを取ると、誉めている言葉には聞こえません。でも肝心なのは、「どういうあり方からその言葉を発しているか」なのです。

言葉もエネルギーです。

なので、「愛してる」というあり方のエネルギーで「ぶさいく」と言っているのかもしれません。

ちょっと表現が曲がっていますが、それがそのママの愛情表現なのかもしれないのです。

その「ぶさいく」と言われている子どもの様子を聞くと、「幸せそうにしている」ということです。それならなおさら、愛されていることは間違いないのです。

エネルギーは子どもに伝わります。

例えば、「今日何して遊んだの?」と子どもに聞く時、

“友だちと仲良くできたか?”とか“お利口さんにしていたか?”という、

チェックするような思考から聞いているかもしれません。

ただ子どもとの会話を楽しんでいると、自然に「今日何して遊んだか」が聞けるのです。そして、子どもの言葉を真っすぐにそのまま受け取っていると、その時の状況がありありと浮かんで来ます。

そこから伝わって来るものは、“楽しかった”とか“嫌だった”とか“嬉しかった”とかの子どもの感情や考えです。

話す言葉を理解する・・というよりも、その言葉や話し方を通してエネルギーが伝わってくるでしょう。

会話が楽しい、話が止まらないという状態は、そのエネルギーの循環が起きているのです。

「どういうあり方から言葉を発するか」という事が大切です。

その「どういうあり方」を知るには、自分を観る必要があるのです。

自分の体の状態は?感情は?考えは?

1日の仕事を終え、子どもを迎えに行く時の状態を観てみると、

体は疲れきっているとか、ちょっと頭が痛いとか

感情は会社であった嫌な事を引きずってモヤモヤしているとか落ち込んでいるとか

考えは「こんなに疲れているのに帰ってから食事を作って、子どもをお風呂に入れてこれからまだまだ仕事が残ってるのに、お父さんは帰りが遅いって言ってたし・・」などなど、頭の中はやることでいっぱい

このような時に、子どもがグズったら・・

「帰るよ」の一言にどんなエネルギーが乗っているでしょうか?

体の疲れやら、モヤモヤの感情やら、やる事がいっぱいという考えやらの重たいエネルギーが乗っていることでしょう。

子どもはそのエネルギーを敏感に感じ取ります。

そして・・・子どもは「いや!」親は「帰るよ!!」とここからエネルギーのぶつかり合いが始まります。

「疲れているんだなぁ」「イライラしているんだなぁ」と自分の状態を認識することが大切です。

人間ですから、いつも良い状態であることなんてほとんどないでしょう。

そんな自分を認める事。

そして、子どもにも一言伝えてみてもいいかもしれません。

2歳の子でもいいんです。伝えてみましょう。

「ママ、今日は疲れちゃった。」

・・・

何かを言ってくれる訳ではなく、何かをしてくれる訳でもない・・

ただ目の前の存在に癒される。

そして、2人の間に温かいエネルギーの循環が起きるのです。

 

『今』というひとときを子どもと共有するそんな体験になるのではないでしょうか。

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あり方・質を育む

雨の日、どんな風に歩いていますか?

「雨はジメジメして嫌だなぁ」

「せっかくの週末なのに残念だなぁ」

という感じでしょうか。

私はというと・・

春の雨は、新緑の黄みどり色がより一層キラキラ輝いて見えて、幸せな気持ちになります。

夏になると、草や樹が恵みの雨に生き生きして見えます。

秋は紅葉がさらに色鮮やかに見えます。

冬の雨の降り方はシトシトと静かで、いつ雪になるだろうと思わず空を見上げます。

こんな風に、自分にどう感じられるかで同じ雨でも大きく変わって来るんです。

「あり方・質を育む」とはどういうことでしょう?

そもそも「あり方」って?「質」って?

英語で言うところの「Be」=存在です。

Be」は、ある・存在する。行動「Do」ではありません。成果「Have」でもありません。

でも世の中「Do」と「Have」で溢れています。

「サッカーをすると、鍛えられていい」とか「バレーを習うと、背筋が伸びてスタイルが良くなるからいい」とか・・行動「Do」をさせます。

また、「テストで100点取った〇〇ちゃんはすごい」とか「〇〇くんは金賞を取ってすごい」とか・・結果「Have」ばかりが気になります。

では、あり方・質の「Be」とは何なのでしょうか?

先日、こんな話を聞きました。

「この前うちの子(4歳)が友だち(4歳)から手紙をもらってきました。そしたら、字が上手に書いてあるんです。うちの子は、ミミズがはった様な字しか書けないから、焦って本屋でドリルを買ってきてやらせたんですよ~。」

・・・と。

「わかるわかる」と言う方もいると思います。

誰だって自分の子どもが他の子よりできていない事を知ると、心配になるでしょう。

だから、ドリルで練習させて・・初めのうちは今までやった事がないので、子どもも楽しんでドリルに取り組むでしょう。

でも、だんだん飽きて来るかもしれません。もちろんそれが好きな子もいます。

飽きてしまう子には、なぜこの方法が上手く行かないのでしょう?

これは誰の為のドリルでしょうか?

親の安心の為のドリルとなっているのです。

ドリルをやっている間は安心ですよね。これで追いつくかもしれない・・と。

では、子どもはどうやって文字を書き始めるのでしょうか?

きっかけの多くは絵本です。

初めは大人に読んでもらい、音と場面を同時に吸収します。

2歳くらいの子で、場面を見ただけでスラスラとそこに書かれた文章が出て来る子も少なくありません。

音と場面が入ると、次に文字の存在に気づき、今度は自分でひとつひとつを追って読み始めます。

こうして、文字と音が繋がると、この次に「書く」という行為になります。

大切なのは、やり方ではなく、子どもの興味を持った瞬間で、その「興味を持つ」というあり方が“成長”なのです。

これこそが、本当の“学び”です。

「なんだろう?」「不思議だな?」「知りたいな」という欲求は子どもひとりひとりが持っています。

その欲求こそが“学び”と“成長”の種です。

その「知りたいな」という欲求があるから、自らの発見があり、“楽しいと感じている”あり方になります。そこから「もっと知りたい」という更なる欲求が生まれ、「調べる」「書いてみる」「聞いてみる」などの“行動”が呼び起こされるのです。

「あり方・質を育む」ということは、

「子どもが今、何を考え、何を感じているか?」「子どもがどうあるか?」

「この子の内面でどんな体験をしているのか?」

「どんな成長の機会なのか?」

を大人が捉えているということが大切です。

的確に捉えるには、“観察”がポイントになってきます。

それが、“あり方・質”を観る第一歩です。

子どもはひとりひとり、完璧なタイミングで成長しています。

他の子と比べると心配になる事もあるでしょう。

人間は必ず成長します。その成長のプロセスにどう大人が関わるかがポイントです。

また、他の子と比べることも悪いことではありません。

それは、個性を知る材料となるかもしれないからです。

大人にとって大切なあり方は、

「これで大丈夫。今はこういうところにいる。それでOK

と大人が大きく、肯定的な姿勢であることなのです。

「あり方・質を育む」ということは、

大人の「あり方・質も育まれる」ということなのです。

 

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new education LittleTree

桜が散り、草木の芽吹きがきれいな季節になりました。

私はこの季節が大好きです。

きみどり色の芽、ひとつひとつが輝き、新しく生まれ出た、生命の力を感じます。

この世に生まれ出て、輝く子どもの顔と新芽。

その二つが似ているように感じる、そんな季節です。

 

今の時代は、これまでの2000年間人間が築き上げてきた、政治・経済・教育等のシステムが上手く機能しなくなってきています。

それは“新しい時代”(アクエリアス星団のエネルギーを地球が受け始めた)へ移行しつつあることの現れです。

この“新しい時代”を生きる子どもへの“教育”を、大きく変化させていく時です。

今までは、強いリーダーシップのある人について行くという時代でした。

“新しい時代”は、ひとりひとりがリーダーとなり、グループで物事を創り、達成して行く時代です。

ひとりひとりがリーダーである・・・ということは、

「自分が今、何を選択し、どのように行動しているか」

を認識しているということです。

人は、ほとんどの場合において、無意識です。

自動的に選び、行動をしています。

でも世界を良く見てみると・・

クジラなどの海洋生物のお腹の中は、プラスチックでいっぱい。

何気なくコンビニでもらったビニール袋が風に飛ばされ、川で流され…その最終的な行き先のほとんどが海だそうです。

こんな風に、何気ない「ビニール袋をもらう」という小さな行動が積もり積もって、海洋生物の生態系を脅かしているのです。

ビニール袋をもらうことが悪い訳ではありません。

無意識でいることに問題があると思っています。

 

「自分が今、何を選択し、どのように行動するか」

その事を認識するスタートは、子どもへの教育です。

子どもひとりひとりが「自分は何が好きで何が嫌いか」「何をやりたくて、何をやりたくないか」を知り、表現できる事が大切です。

それが、ひとりひとりがリーダーである・・ということの始まりなのです。

『何ができる、何ができない』という事ではなく、

『どういう人であるか』という人間としてのあり方(質)を育くむ事が、これからの新しい教育です。

 

新しい時代を創っていく人材が育つ場、全く新しい教育・保育をここで発信していきたいと思ってます。


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